植民地・台湾(当時)に生まれ、私に忠実であった現地人の女中がほぼかかりきりになってくれた。その上、母親が細かい干渉を一切しなかったので、多数のアヒルを引き連れて近所を練り歩く等々、私(渡辺高哉)は自由奔放な生活をしたことをよく覚えています。 抑圧されたことのない私は「押さえつけられるのが嫌」ということで、年上の人間とは決して遊ばない少年時代を送ることとなりました。だからか、私は常識では考えられないようなことをして遊んだものでした。 網で魚を捕る。これが子供の世界の常識。ところが、小川を堰き止め水をかい出して、魚・ザリガニを手づかみする──、こういうことを提案して、大勢の遊び仲間と一気呵成にやる等々がその良い例です。 社会人になってからの仕事の世界でも同様でした。安宅産業に入社して早々にあっと驚くようなことをやってのけたのです。先輩達が営々と引き継いできた仕事の仕方を一切無視した事務処理革命を成功させてしまった等々が良い例です。 初任給1万円ちょっとの時代に、一人当たりの月間ノルマが粗利益で100万円。したがって、人は増やせないので、貿易の受け渡し業務を新人の私一人でやっていました。残業が続くので、大胆な合理化案を考え出して課長に受け入れさせてしまったのです。 ですから、「輸入担保金90万円の没収」という通産省(当時)から通達が来て、「役員会で報告した結果、お咎めなしということになったので、心配するな」という課長の言葉を聞いても「ハイ、分かりました。申し訳ありませんでした」というような私ではありませんでした。(緊急入院していたために私は大きなちょんぼをしてしまったのです) 通産省の担当係長の自宅の住所(横浜の郊外)を調べ上げて、訪問し押し問答の末、合法的秘策のヒントを入手し色々と算段した結果、全額回収に成功。課長を始めとする多くの人々を吃驚仰天させたのです。
上記の実績は地についたものばかりです。私は抑圧されたことがない生い立ちのため大胆に発想した構想を本気になって実現させようとするところがあります。 ●安宅産業退職の火種
上記の「五つ」を結びつけて私自身が発想した4カ国間貿易事業構想をぶち上げましたが、「身分相応のことを考えろ」と課長に厳しく叱責されました。 ●西友ストアー入社の動機 「平常時は食肉を食べるが、非常時は飼料を直接食べることを可能にする食糧安全保障体制を確立する」野望実現を最終目標とする「畜産業からカット肉の小売までを一貫して行う業界の垂直的統合プロジェクト」を持ちこんで安宅産業から西友ストアーに転職しました。 ところが、西友ストアーが三菱商事と提携することとなり、私主導のプロジェクト推進は不可能になりま した。そこで、私は小麦粉から小麦粉製品の小売までを一貫して行う業界の垂直的統合を行ったり、「業績 大幅拡大に結びつけた販売実績の時系列・横断比較分析」するプロジェクトに転じました。しかし、「食糧安全保障体制の確立」の夢は捨てることができませんでした。 そこで、代わりの活躍の場を皮革産業に求めることになりました。「食糧安全保障体制の確立」を密かに 最終目標に置いた「業績大幅拡大に結びつけたメーカー(ユニオン製靴)主宰のボランタリーチェーン形成 」を請負い、成功させました。日本能率協会出版の相良竜介著『企業の頭脳集団』に紹介され、千葉県鎌ヶ谷市にユニオン通りができるほどの大工場建設に結びいたほどです。 しかし、西友ストアー時代に抱いた最終目標の実現性は極めて低いことを悟り、雑多な実践経験を統合して渡辺高哉理論を創り上げるために同社の社長補佐業を経て三菱総合研究所に入社することになりました。 三菱総合研究所ではノルマ達成のために仕事を選ぶ余裕は全くなく、様々な分野の調査研究を行うことになり、渡辺高哉理論創出の道は遠くなりました。ところが、幸運が舞い込んで来ました。「業績大幅拡大に結びつけた、ぶっつけ本番の問題解決型会議(真空機器振興ビジョン)」を行い、「経営コンサルタントとしてやっていける」という確信を持つことができたからです。
私は四重のハンディキャップ(勤務先・三菱総研の未踏分野故ブランド力希薄/私にとっても未踏分野/ノウハウ販売は不可能という業界内の経験則/単独隠密行動故の時間外活動の必要性)を克服して 『新規事業開発の手引き』というマルチクライアント・プロジェクト(数多くの顧客に同じ内容の成果を提供する乗り合いバス方式のプロジェクト)を発案して、たった一人で52社から合計6200万円を集めてプロジェクト成立に大成功し、三菱総研における経営コンサルティング事業のパイオニア―役を演じることに結びつけることができました。 「勤務先・三菱総研の未踏分野故ブランド力希薄」には中小企業振興事業団の機関紙に連載されていた、私の小論『経営のヒント』集並びに『豊田市地域商業近代化ビジョンのあらまし』を全顧客企業候補に郵送することで対応しました。「渡辺高哉のようなビジネス・経営に精通した人間が三菱総研には存在しているのだ」ということを訴えるのが狙いだったのです。 『経営のヒント』は好評を博していましたし、『豊田市地域商業近代化ビジョン』は専門家筋から「経営戦略の見本」と絶賛されていましたので、上記の狙いは見事に的中しました。 「単独隠密行動故の時間外活動の必要性」には市場開発効率化のため独創的方法で対応し、52社から合計6200万円を一社を除いて通信販売で集める、という離れ業を演じました。 プロジェクトを成立させる資金を獲得しても私に潜在能力がなければ、顧客の満足は得られません。この点でも抜かりがありませんでした。火種「初体験分野で画期的業績に結びつけた創造的問題解決」が結実したのであって、突如として開発力抜本的強化型のコンサルタントとして躍り出たわけではないからです。
自社の既存技術の枠を大きく超える技術の開発や異質の販路開拓を必要とする「新規事業開発」の典型である、上記したマルチクライアント・プロジェクト『新規事業開発の手引き』に即して説明しましょう。新規事業開発が異常な苦労を伴うのは、7種類の壁があるからです。
上記「6種類の壁」を次のようにしてクリアーしたのがマルチクライアント・プロジェクト『新規事業開発の手引き』でした。(関連記事 ⇒ 『新規事業開発成功に必要な理論的条件が完備していた』l
三菱総合研究所に入社する前の私は最終学歴の重要性を意識することはまったくありませんでした。自分の能力一本で勝負できたし、所属組織内で高待遇を受け続けてきたからです。したがって、「高2時に進学志望校を父親から拒絶され、これを契機に脱線人生を歩むことになった」ことの埋め合わせが意図された、安宅産業に入社して4年目の時に父親から強く勧められたアメリカ留学を「勉強(学歴)よりも仕事をしたかった」ために断ったほどでした。 ところが、念願の三菱総合研究所に入社してから最終学歴の重要性を思い知らされるできごとが相次ぎました。
複雑な問題を量的効率で対処しようとしたことが悲劇を招いた実態の放置は許されなくなる。世の中全体が四つの脳力を必ず渇望するようになる。
──── と考えて、問題の根本的原因解明を最優先させる仕事スタイルを貫き続けて参りました。その結果、「個性的才能を引き出す性格診断」の方法論の必要性に気づき、この方法論を苦労の末に完成させました。そのお陰で次の図式実現を得意とするようになりました。 深刻な悩み事の創造的解決を分野を問わず可能にする共創力駆使を前提に悩み事相談を受ける ⇒ 相談者の性格に振り回されていることが自分の潜在能力の殆どを未活用にしている実態からの脱却を誘導する ⇒ 相談者が紙一重の人生を波乗りできるように誘導する。 深刻な悩み事を抱えたままの状態が長く続くと、手遅れとなり、環境異変に呑みこまれてしまい易いのが先行き不透明時代の特徴です。こうならないようにするだけではなく、悩み事を抱える人に斬新な着眼を注入して適切で好きな道に誘導するのが最後の頼み「複雑問題解決者」である渡辺高哉に与えれた使命です。 個人の人生も組織運営も基本は同じです。したがって、上記の考え方は個人だけではなく企業などの組織にも適用可能であることは言うまでもありません。→『断片的な公開情報やアンケート調査結果に基づく構想・独創のイメージ例 & 脳力革命の方法 & 過去の歩み=貴重な調査結果』) 青春期の長期彷徨を送ってきた私が総合的創造的脳力の持ち主になる動機を与えてくださった故・糸川英夫博士に深く感謝しています。→日本一の頭脳の持ち主からの極めて高い評価が後押しをしてくれた
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