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今、日本人の心はどうなっているのか? だから、どうすべきなのか?



→オウムに嵌った林郁夫は他人事ではない!― 自立と自律力養成の薦め ―〈2004/6/13〉


林郁夫の鬱積した欲求が「無我夢中」に結びついたのはなぜなのか?

モデル思考の代わりに絶対的権威を求めたからだ

 医学の限界打破のために宗教の力を借りようとしたことは理解できますが、短絡的過ぎます。

 医師を職業として選択したのはなぜなのか? 目的達成の道は医師以外になかったのか?──、といったような概念拡大と論理化を行うべきでした。このような創造的な思索をどうして行わなかったのでしょうか? 下記の図式が実現してしまったような気がしてなりません。

 斬新な着眼に満ちた大局観を持つことなく細事にこだわる (突き詰めれば突き詰めるほど自家中毒的な思考・行動になってしまう) ⇒ モデル思考をしようともしなかった (広い視野と柔軟な発想の下で適切な目的・手段を選択しようともしなかった) + 異質な人物の正体を見抜くことができなかった ⇒ 神秘的な存在を最後の拠り所にする人間の習性が首をもたげてしまった。

 斬新な着眼に満ちた大局観を持つことなく細事にこだわることが自家中毒的な思考・行動に結びついてしまう例は枚挙に暇がありません。下記のような状態になってしまった筆者の知人が典型的な例です。

 株式投資で一儲けして豊かな老後を送ろうしたが、失敗して多額の借金を抱えることになってしまった。損を回収するために株式投資に更にのめりこみ、天与の才能を磨くことをすっかり忘れて惨めな老後を迎えることになってしまった。

斬新な着眼に満ちた大局観を持つことなく細事にこだわる (突き詰めれば突き詰めるほど自家中毒的な思考・行動になってしまう) と判断した根拠は何か?

(根拠1) 自動車ではねた妊婦をきちっと入院させ、毎日見舞いに行き、出産にまで付き合ったこと (溢れるばかりの患者を抱えた心臓外科医としての仕事は疎かにしない。しかし、人間的な行動を採るための創意工夫がなされるべきだったはずです。人脈を利用して最善の医療を施す。経済的保障をする。毎日手紙を付けた花束を届ける等などをして)

(根拠2) 患者の鼻に糸を入れたり、大量の水を飲ませてぴょんぴょん飛び跳ねさせたこと (そんな暇があったら、専門家の力を借りて遺伝子治療の方法を模索する等に時間を使うべきだったはずです)

(根拠3) 医学の限界打破のために宗教の力を借りようとした短絡さ (遺伝子治療の画期的方法開発のために研究医になる道等を模索すべきであったはずです)

(根拠4) 効果のない指紋消去の手術で多くの人を犯罪者にしてしまったことを後悔したこと (オウム真理教が存在しなければ、このようなことがなかったことを後悔すべきであったはずです)

 「患者に癌を伏せておくようなことはできない。だから、癌に冒されることがほとんどない心臓外科医の道を選んだ」という発言にあるように林郁夫は嘘をつくことを嫌う性格の持ち主。この延長線上に上記の根拠1〜4で述べたことがあるのです。

 林郁夫は魅力的な人物です。だから、奥さんは夫の気持ちを大事にして全財産を投入して、一緒にオウム真理教に入信したのでしょう。しかしながら、上記の根拠1〜4で述べたことから明らかなように、斬新な着眼に満ちた大局観がぽっかり抜けた人物のようなのです。

 林郁夫は日本の社会において例外的人物なのでしょうか? 「否」です。発想を転換した行動を採らない限り、

 固定的な役割に閉じ込められ続けてきた + 世の中が複雑になってしまった ⇒ 斬新な着眼に満ちた大局観を持つことなく細事にこだわる ⇒ 環境に適応できず衰退していく──、という図式の餌食になる人が増えていくことでしょう。(主張の根拠 ⇒ 『何が斬新な着眼を妨げるのか? だからどうすべきなのか?』)

モデル思考をしようともしなかった (広い視野と柔軟な発想の下で適切な目的・手段を選択しようとしない)背景に何があるのか?

 筆者も林郁夫同様に求道者的生き方をしてきました。しかしながら、両者には決定的な違いがあります。林郁夫は医学の限界を宗教の力を借りて打破しようとしました。一方、筆者は転職に道を求めました。

 商社マンのあり方に疑問を感じて、経営者に建白書を提起。しかしながら、不満が解消して夢を実現させることは叶いそうにもなかった。(詳しくは ⇒ 『安宅産業時代』) かくして、転職人生を歩むこととなり、夢見ていた脳力を運良く身につけることができました。(詳しくは ⇒ 『ギブ&ティクの度重なる転職』)

 筆者が林郁夫と正反対の人生を送ることができたのはどうしてなのでしょうか? 自立と自律の習慣を根づかせることに結びついた、下記図式の人生を歩んできたことが原因しているのではないかと思います。

 影響を一番受けやすい4才過ぎの時に置かれた環境を信じることができない衝撃的な経験をした + 野放図な幼少・少年時代を送ったことが失敗を恐れない (打たれ強い) 性格を育んだ + 売り物を探して売り先を見つけなければならない商社マンとして職業生活のスタートを切った ⇒ 典型的なチャレンジャー人生を送り続けることとなった。

 (詳しくは ⇒ 『誕生から小学校まで』&『渡辺高哉の仕事歴』&『野心の前途には巨大な壁が幾重にも立ちはだかっていた』)

 特殊な生い立ちがなければ自立と自律の習慣を根づかせることはできないのでしょうか? 結論を先取りして申し上げますと、「否」です。(理由と対策 ⇒後述の「4 健全なマイペース力はどうしたら確立できるのか?」)

異質な人物の正体を見抜くことができなかったのはなぜなのか?

 医者一族の中に生まれ、中等部から大学まで慶応に身を置き、社会人になっても仲間は医者ばかり。いいかえれば、同質の人間に囲まれ放しの人生だったからなのです。こういう立場にある人間に異質の人物の正体を見抜くことを要求する方がおかしいのです。(詳しくは ⇒ 『事の真相を見抜けないのはどうしてなのか』)

 この種の洞察力不足は、信じるべき人物を信じないことに、信じるべき人物を信じないことはピンチの回避・チャンスの確保にとっても大きなマイナスに結びつくことを忘れてはならないでしょう。

神秘的な存在を最後の拠り所にする人間の習性が首をもたげてしまったのはなぜなのか?

(理由1) 医学の限界打開に向けた強い願望があった。しかしながら、自分の力で切り開こうとしなかった

 林郁夫は前述したように枠の中に納められたエリート人生を歩み続けてきました。したがって、本当の意味での自立と自律の習慣が養われようがありませんでした。となれば、自力以外の何かに頼るしかないのです。

(理由2) 市場に新規参入して成功する商品の要件を備えていた

 成熟社会にはおいては鬱積した欲望に焦点を合わせた独自性がない新参者は見向きされません。さりとて、習慣の壁があると、市場開発に成功するためには莫大の費用がかかります。家庭用の布団乾燥機は理論的に売れてしかるべきであったのに、習慣の壁があったのでパイオニアー・三菱電機は苦労に苦労を重ねたのです。

 上記「二つの条件」を見事にクリアーしていたのがオウム真理教なのです。なぜなら、仏教をベースにして、教義は「日夜努力し続けることによって貴方が気づいていない貴方の価値が開花します」を謳い文句にしている。

  しかも、前述したように、麻原彰晃がインドで修業を重ねた結果、現存する唯一の最終解脱者になった。出家制度で成就者を出した、──という日本人が求めて止まぬ実績があるのです。

 (成就者が出ていても途中で達成感が得られない修業は長続きしません。この点においても心憎い配慮がなされていました。オウム真理教内に細かく設けられた階級によって、自分の成就の程度が分かるようになっているのです。減量すればするほどベルトの穴が増えていくことが大きな励みとなるのと似た効果が得られるようになっていたのです)

 ここまでの説明をお読みになり、「人間には神秘的な存在を最後の拠り所にする習性がある」と主張するのは短絡的すぎるのではないか?…という疑問の声が上がることでしょう。お答えします。

 前述の末期肺癌の妻を救い出すために破滅寸前に追い込まれた男を演じることがなかったならば、筆者は「人間には神秘的な存在を最後の拠り所にするが習性ある」と主張するようなことはあり得なかったでしょう。でも、今は違うのです。無神論者の筆者は自宅から徒歩数分の神社に毎日出かけて、「妻をどうか助けてください」と祈願したのです。

麻原彰晃の教祖性は付け焼刃ではなかったからだ

 経験からにじみ出る強烈な想いが込められていない、思いつきの理念では人は動かされません。

 付け焼刃の知識や実践経験だけでは駄目。並々ならぬ生い立ちが並々ならぬ第二の天性を醸成し、醸成された第二の天性と遺伝子が生み出した天性を合わせて磨き上げてはじめて本当のプロフェッショナルになれる。 ── こういう目で麻原彰晃の生い立ちを分かりやすく図式化して見ましょう。

(ステップ1) 支配欲旺盛な人物としてデビューした

 支配欲が生まれつき強かった + 自分の運命が強制的に与えられた (左目の視力がほとんどない。右目も弱視である/父親によって全寮制の盲学校に強制的に入れられた) ⇒ 絶対的権力者になるしかないと思うようになった──、という図式ができあがってしまったのです。

(ステップ2) 自己愛的な人格障害者としての性格を強めていった

 かすかな視力と他を圧倒する体力との持ち主であったが、人望がなかった ⇒ 盲学校内で支配欲を満たすことができたが、リーダーとしては認められなかった ⇒ 欲求不満が募ることとなった + 長期間閉ざされた社会の中で生活してきた ⇒ 社会的認知力の低さ並びに社会的協調性の発達不足が目立つ人物になってしまった──、という図式ができあがってしまったのです。

(ステップ3) 挫折を繰り返して社会に対する強い反感の温床ができあがった

 視力障害者ではなりたい医師になれないことが分かった。仕方なく目指した針医は医師に従属する立場であることが分かった。政治家を夢見て大学の法学部に入るべく予備校に通ったが恋仲の知子が妊娠。やむを得ず針医として生計を立てることになった。 ── こういうことが続いてしまったのです。

(ステップ4) 宗教家を目指すようになった

 支配欲が旺盛な自己愛的な人格障害者である + 挫折を繰り返した ⇒ 自分の運命を変えたいと思うに至った ⇒ 運命の変換を密教の修業に結びつけて説いていた桐山靖雄に惹かれて阿含宗に入信した──、という図式ができあがってしまったのです。

(ステップ5) 社会に対する強い反感を持った宗教家になった

 挫折はステップ3にあるようなことだけに留まりませんでした。偽薬を売ったことで薬事法に違反して、針医師と漢方薬局経営者としての社会的信用が失墜。しかも、妻の知子の離反をも招いてしまった。

 上記したことがあったので、社会に対する強い反感が生まれると同時に、「自分に残された道は独自の宗教を切り開くしかない」と思うようになりました。 (麻原彰晃は独自の考え方を確立した上で支配欲を満たしたい人物。したがって、従属的立場を余儀なくされる阿含宗の信者でいることに我慢できなかったのでしょう)

 辛い生い立ちは強烈な第二の天性を醸成します。マリリン・モンローは孤児として生きのびるために人の気を惹く才能が備わり、これを磨き上げて世紀の大女優になりました。一方、麻原彰晃は反社会的な宗教団体の教祖になったのです。だからこそ、頭脳明晰と思われる多数の人材を惹きつけ、道を誤らせてしまったのです。

 この麻原彰晃の人生を認識して、筆者は他人事とはとても思えません。なぜなら、

 小学校4年の担任女教師の奈良橋先生から「うまく育てれば社会的に画期的なことを成し遂げる人物になります。しかしながら、野放ししておくと、とんでもないことを引き起こす人物になりかねません。適切な指導者をつけてください」という趣旨のことを通信簿の連絡欄に書かれてしまったことがあるからです。

 筆者はその後も野放し状態でした。しかしながら、一人で何百年も生きたような波乱万丈の人生となりましたが、とんでもないことを引き起こす人物にはなりませんでした。やりたい放題のことができるビジネスの世界に身を置いたからでしょう。 (詳しくは ⇒『渡辺高哉の仕事』。 そうでなければ、奈良橋先生の予言通りにとんでもないことをしでかしていたかもしれません。

 筆者は麻原彰晃のことを「実に惜しい人物だった」と心の奥底から思っています。適切な指導者に恵まれていたら大哲学者、大科学者、大事業家になっていた可能性が大だからです。


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