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今、日本人の心はどうなっているのか? だから、どうすべきなのか?




→オウムに嵌った林郁夫は他人事ではない!― 自立と自律力養成の薦め ―〈2004/7/11〉


心の余裕を完全に失ってしまったからである

踏み込んだ悪しき道を正当化せざるを得ない心理が働いた

後戻りしにくい状態に自らを一気に追い込んでしまった

 林郁夫はオウム真理教を終始一貫して信じていたわけではありません。なぜなら、林郁夫は入信後麻原彰晃の教義に矛盾を感じたことが度々あったからです。にもかかわらず、悪しき信仰の世界から抜け出すことができなかったのはどうしてなのでしょうか?

 全財産の8,000万円を寄進して家族全員でオウム真理教に入信。いわゆるサティアンが生活拠点になりました。不退転の状態に自らを置いたわけです。いいかえれば、自分の行動の誤りを認めることができない心理状態になってしまったからなのです。したがって、教義に矛盾を感じても、この感情を無理やりに押し殺すしかなかったのです。

 「感情を無理やりに押し殺しているなぁ」と感じることがあったら迷うことなく、第三者に心の中を打ち明けて相談に乗ってもらう必要があるのです。但し、この第三者は「思考の三原則」 (全体を見る/長い目で見る/根本的に考える) を適用できる脳力を前提に聞き上手の人物でなければならないことは言うまでもありません。

世間の荒波を経験したことがないことが災いした

 林郁夫と同じ状態に置かれたならば、全ての人が同じような状態になるしかなかったのでしょうか? 失敗を認め、ゼロからやり直す勇気があれば、教義に矛盾を感じた段階で採った行動の見直しを行うことでしょう。優れた経営者が失敗を認めて巨額の投資を行った新規事業から潔く撤退するように。

 しかしながら、温室育ちの優等生人生を歩んできた林郁夫は失敗や自己否定の感覚を味わったことがありませんでした。したがって、上記したような勇気を持つことができず、オウム真理教から脱出するチャンスを失ったのです。

 温室育ちの優等生人生に待ち受けている罠をもうひとつの例で説明してみましょう。

 地域社会始まって以来の神童と言われた人物がいます。この人物はごく当たり前に優秀な成績で東大に入学・卒業しました。順風満帆であったこの人物にたったひとつ悩みがありました。「運動神経に自信がないので、勉強をしても合格するとは限らない。不合格になるのが怖い」ということで自動車の運転免許証取得に挑戦できなかったのです。この体たらくの背景には下記の図式が潜んでいたのです。

 ペーパーテストでしか自分を試したことしかなく、徹底的な議論をするといったようにことで自分を晒したことがない ⇒ 精神的に叩かれたことがない ⇒ 自己否定に対する免疫力がない ⇒ 失敗を恐れて不確実性の高いことに挑戦できない。

 この失敗回避癖はこの人物のその後の人生に大きな足枷になってしまいました。環境が変化しやすい時代は「成長」か「衰退」のいずれしかなく、現状維持はあり得ません。にもかかわらず、飛躍のチャンスを狙うことができなかったために、環境激変の渦に巻き込まれてしまったのです。

 事情があって転職を余儀なくされることとなった。潜在能力を生かして成長性豊かな新進気鋭の企業に活路を見出すことなく、衰退傾向にある超大企業に就職。そして、超大企業は業績が悪化の一途を辿ることになってしまい、この神童君は塗炭の苦しみをなめることになってしまったのです。

 同質社会、規制社会、人間関係優先社会の中で生活し続けてきたために、自己否定に対する免疫力がほとんどない。したがって、失敗回避癖が染み付いているのが多くの日本人の実態であることを考えると、林郁夫や上記の神童君は他人事ではありません。人生はすべからくリズムです。勇気も同じことです。

 勇気を持つリズムを入手する方法には色々ありますが、重大事に直面したら「思考の三原則」 (全体を見る/長い目で見る/根本的に考える) を適用できる人物と徹底的な質疑応答を行うことをお勧めします。(具体策の例 ⇒ 『プロフェッショナル・シミュレーション』)


心理的監禁状態に巧妙に追い込まれてしまった

悪しき道に納得性が生まれてしまった

 話を元に戻します。オウム真理教から脱出するチャンスを失った林郁夫は、「サウナ風呂の後冷水に浸かるような清々しい気分」「努力に応じて組織内の階級が上がり、目標とする最終解脱に近づいていることが生み出す達成感」という二つの効果を持つ修業の日々を過ごすこととなりました。

 この二つの効果はオウム真理教に踏みとどまるための自分への言い訳に使えたはずです。喫煙の快感が「禁煙したい」という理性に勝ってしまうように。快適習慣の恐ろしさがあるのです。

 失敗を認めたくない + 修業は楽しい ⇒ 入信した自分の行為を正当化する──、という図式が働いたと考えられるのです。

 上記したことは、人間はいかなる局面にあっても自分自身の考え方や習慣を第3者の力を借りて見直す必要があることを示唆しているのではないでしょうか。“ファーブルの毛虫症候群”状態に陥りやすい日本人はなおさらのことです。

踏み絵と慣らしが功を奏してにっちもさっちも行かなくなってしまった

 一般社会から隔離されたサティアン内で生活することとなった + サティアン内には大勢の信者がいたが、各人は個室で寝起きをさせられ、しかも、目標である麻原彰晃との一対一の人間関係しかなかった ⇒ 麻原彰晃だけが頼りになる人となった ⇒ 麻原彰晃の命令にしたがいやすくなった

 ⇒ 指紋・記憶消去等の医学的な犯罪に引き込まれていった ⇒ 罪を犯すことに抵抗感が無くなっていった ⇒ ずるずると深みに嵌っていった──、という図式に引き込まれてしまったのです。

 信者の人間関係は麻原彰晃との一対一の人間関係であることがどうして成立できたかのか?

 欧米先進国へのキャッチアップのほぼ完了並びに工業化の限界により、「物質的に豊かになる」という日本人を束ねてきた共通規範がなくなり、一人一人がばらばらになってしまった。日本の社会はこのようになってしまっていたので、この一対一の関係には抵抗感がなかったからなのでしょう。

 林郁夫のような理性的な人物が麻原彰晃の命令にしたがいやすくなったのはどうしてなのか?

 言動の自由が利きにくい異常空間に長期間閉じ込められると、信頼できるリーダーの行動にしたがい、親にリードされていた幼児体験が蘇り、心地よいリズムになるからなのでしょう。筆者も似たような経験をしたことがあります。

 靴小売店や靴卸店の店主達とヨーロッパに視察旅行をした時のことです。彼らは実に素直になり、帰国後のボランタリー・チェーンの組織化と運営が円滑になったので吃驚しました。(関連記事 ⇒ 『ユニオン製靴の請け負い事業』)

 林郁夫のような良心の塊のような人物が罪を犯すことに抵抗感が無くなってしまったのはどうしてなのか?

 慣れると感覚が麻痺してしまうからなのです。筆者の商社マン時代のことですが、インドから久しぶりに日本に戻って吃驚したことがあります。

 日本人一人一人の顔がくっきりと違うのです。インドに行く前は慣れてしまって日本人の一人一人の顔の違いをそれほど強く認識できなかったのです。これも慣れると感覚が麻痺してしまうことの証明ではないでしょうか。

 この世の中には様々な禁断の実があります。この禁断の実を何かの拍子で味わうことになった場合、最初は罪悪感があるものです。ところが、経験を重ねるとなんとも思わなくなることが観察されますが、これも同じことなのでしょう。


新創業の心を持つことができなかった

 林郁夫は麻原彰晃の罪状を告発する気になった直後、取調べに当った刑事に「失敗を認めたくなかった。だから…」と慟哭して告白しました。オウム入信に伴って背負うこととなった経済的・社会的な犠牲が大きいだけにこの気持ちはよく分かります。しかしながら、暴挙によって得たものもあります。

 頭脳明晰で冷静な人間であっても、ふらふらと悪の道に誘い込まれることがある。こういうことを身をもって体験できたこと。これが暴挙によって得たことです。この経験を生かして人生をやり直すことができたはずです。とてつもない実体験をしている上に、豊富な医師経験があるので、売れっ子のカウンセラーになれることでしょう。

 未来から自分の足跡を眺め、足跡をプラスの資産に用いて堂々と再生の道を歩む新創業の心を持つことができなかったはどうしてなのでしょうか?

日本の邑社会性がオウム真理教を隠れ家にしてしまった

 大都市の中心部を日米比較すると興味深い事実にぶつかります。米国の場合はスラム化することが多い。一方、日本の場合は富裕層が集結していることが多いのです。どうしてなのでしょうか? 群れから外れると村八分にされる…という日本の伝統の名残なのでしょう。日本、特に東京文化圏においては、

 所属集団からの離脱者はどんなに優秀な人材であってもその集団から敵対視される。ところが、どんなに無能であっても、所属集団に忠誠を誓い続ける限りは生活を保障される──、という風習が長く続いていました。だから、系列取引・終身雇用制度等からなる長期コミットメント体制が磐石だったのです。

 この長期コミットメント体制は音を立てて崩れつつあります。ところが、上記の風習は色濃く残っていることは否ません。日本の社会は依然として閉鎖的なのです。(ひとつの証 ⇒ 『日米のビジネス・パーソンの行動の際立った違い』)

 日本の社会の閉鎖性は他の面でもあります。時代が変わり、正当性が失われたにもかかわらず残存し続けている次の図式がそうです。

 キャッチアップが可能である ⇒ 模倣や「カイゼン」で事足りる ⇒ 枠外思考を抑制しなければならない (与えられた役割を逸脱しないようにしなければならない) ⇒ 減点主義が社会全体に横行することとなった。

 上記の図式は日本人の遺伝子のように染みつき、失敗者・犯罪者に対する烙印はいつまでも消えることがないのです。

 群れから外れた者を受け入れない。失敗者・犯罪者に対する烙印はいつまでも消えることがない。 ── この二つがあるために、オウム信者達は社会復帰をしたくてもできにくいのです。

 上記した三つの大きな理由 (踏み込んだ悪しき道を正当化せざるを得ない心理が働いた/心理的監禁状態に巧妙に追い込まれてしまった/新創業の心を持つことができなかった) があれば、林郁夫は上の指示通りに動くロボットになるしかありません。

  「オウムの信者達は表情がのっぺりしていて無表情である」と言われている背景にはオウム信者達に林郁夫と似た心理的状況があるからなのでしょう。

日本の社会にも市場原理精神が普及しつつある

 筆者は村八分になるようなことはしていませんが、社会的に孤立した生活を約10年間続けたことがあります。(詳しくは ⇒ 『延々と続く穴倉生活の開始』)

 このような生活を日本の社会で送ることは一種の自殺行為です。これがこれまでの常識でした。ところが、事実は必ずしもそうではなかったのです。(証拠 ⇒『インターネット経由での講演と出版依頼』)

 時代は変わったのです。インターネットの普及が日本社会の閉鎖性に風穴をあけてくれたのです。

 したがって、上記したような閉鎖性は色濃く残っていることは間違いのないところですが、前科者の烙印を押される林郁夫であってもやり方次第では売れっ子のカウンセラーになれるはずなのです。但し、心を無にしなければチャンスは生かせないでしょう。

チャンスを生かすには素直な心が必要不可欠である

 子供達はテロや戦争の惨たらしさを如実に示す廃墟の中であっても生き生きした目で笑顔を浮かべながら遊びまわっています。こんな不思議なことがどうしてできるのでしょうか?

 子供は置かれた状況に応じて楽しみを見出すことができるからなのです。この才能はどこから生まれているのでしょうか?

 「かくかくしかじかの環境に置かれているからかくかくしかじかの態度を採らなければならない」といったような囚われた心 (こだわり) がないからなのです。何がこだわりを生み出すのでしょうか?

 習慣が醸成する価値観や固定観念が囚われた心 (こだわり) に結びつくのです。この心が林郁夫の人生を幾重にも台無しにしてしまったのです。

 医学の限界を打破できるのは宗教だけである。このように思い込んでオウム真理教に入信した。人生の成否のきちっとした定義を行うことなく、「失敗を認めたくない」という想いが強すぎて邪教から脱出できなかった。 ── このような一連の行動は囚われた心 (こだわり)のなせる業なのです。


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