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今、日本人の心はどうなっているのか? だから、どうすべきなのか?



→オウムに嵌った林郁夫は他人事ではない!― 自立と自律力養成の薦め ―〈2004/7/26〉


最期の最後まで素直な行動を採ることができなかったからである

悪しき信念が背中をぽんと押してしまった

 地下鉄内にサリンをまくことを引き受けた後、ためらいを3度感じた (実行を止めるチャンスが3度あった) ことが証明されています。

(第1回目のためらい) 地下鉄の窓に映る、父親の形見のコートを着ている自分の姿を見て動揺する。そして、地下鉄を降りた。

(第2回目のためらい)
地下鉄の椅子に座っている時、女性や子供を見て、「女性や子供を殺すのは嫌だ」と思った。

(第3回目のためらい) 再び地下鉄に乗って白いコートを着た女性を見て、「早く降りてくれ」と思った。

 にもかかわらず、人生を台無しにしてしまう実行犯になってしまいました。どうして犯行を中止するチャンスをものにできなかったのでしょうか?


殺人という暴力が正当化されていた

 忌まわしい大事件を正当化できた理由は大きく分けて三つあったようです。

(正当化の理由1) できあがった期待に沿って行動しようすとる人間本能が働いた

 今の世の中は間違っている。これを糾すのがオウム真理教である。したがって、オウム真理教が国家権力と対立するのは当たり前であると信者達は思い込んでいました。

 信者でなくてもこのように思っている人は少なくありません。なぜなら、今の世の中は間違っていることが多いのは事実だからです。(根拠 ⇒ 『日本社会の生命力が低下しつつある』&『刹那的なエゴイストに囲まれつつある』) にもかかわらず、オウム真理教が突出した行動を採ることを決意したのはどうしてなのでしょうか?

 オウム真理教に入信した ⇒ 自分の内外に期待値ができあがった ⇒ できあがった期待値が大きな圧力となった──、という図式が働いたのではないでしょうか。

 「まさか…」と思う人が少なくないことでしょう。自分にできあがった期待圧力の威力についての具体例を簡単に説明しましょう。

 「わが社はかくあるべし」という調査結果を得た。そこで、この調査結果に基づいて「かくありたい」という願いをこめた、その企業のシンボルマークを新たに作成した。・・・・・この企業の従業員達は期待に応える行動を徐々に採ることなり、念願の企業体質改善が進んだ。

 みなさんはこの正当化の理由1から「できあがった期待の呪縛を解かないと、様変わりした環境に適応できない」という教訓を学び取る必要があるのではないでしょうか。

(正当化の理由2) 間違った信念を抱いてしまった

 目前に迫った公証役場事務長拉致事件を解明するための強制捜査が教団に対して行われると、オウム真理教による「人類救済計画」が妨害される。したがって、地下鉄サリン事件によって首都圏を大混乱に陥れ、強制捜査を阻止しなければならない。

 このような馬鹿馬鹿しいことをエリートであった林郁夫は信じこんでいたことにこの事件の深刻さがあるのです。林郁夫の心情は次の通りだったのでしょう。

 最終解脱者になりたいばかりに経済的・社会的に大きな犠牲を払って麻原彰晃を尊師に選んだ。そして、念願成就に向かって着実に前進している。したがって、尊師が率いる教団が潰されるのはとても困る。どんなことをしてでも教団を守らなければならない。

 精神状態が不安定にならざるを得ない世の中になったために日本人の心は一段と不安定になってしまいました。心を安らかにできるものに飛びつきやすい状態に置かれているのです。したがって、林郁夫の心理の世界は他人事ではありません。他山の石にしなければならないのです。

 「どうしたら精神状態が安定できるか?」「自分は間違った信念を抱いていないか?」を真剣に考えなければならない時代がやってきたのです。

(正当化の理由3) 視野が狭い状態の中で自己防衛本能が働いた

 上記の強制捜査の実行は教団だけではなく、林郁夫自身をも追い込むことになるのでした。なぜなら、彼は公証役場事務長の殺害に加わっていたからです。自分のためにも捜査の矛先を変える必要があったのです。

 「林郁夫のような真面目な人間が自分の罪を隠蔽しようとしたのか?」と言って驚くのは早すぎます。というよりは、三菱自動車のクラッチ欠陥、シャフト脱落事件の実態を考えるともっと深刻です。

 この事件の犯人達は林郁夫のように邪教に嵌ってしまったという気の毒の状態にあるのではなく、三大悪 (問題を先送りする/ごまかす/嘘をつく)を善良そうな表情を浮かべながら平然と犯しているからです。

 「日本人はお人よしである」ということがよく言われますが、この表現は間違っているのです。「平穏無事であればお人よしである。ところが、平穏無事でなくなった途端に自分の責任を回避する倫理観ゼロの人物になってしまいがちである」と言い直すべきでしょう。

 どうしてこの三大悪がはびこることになったのでしょうか? 「発生した問題が自然に解消する時代が長く続いた ⇒ 日和見的な生き方が通用した ⇒ 自分の考えを持たず漂うように生きる方が得であるという価値観が根づいた」という図式のなせる業なのです。

 しかしながら、時代は変わり、窮地に陥ったならば勇気を出して抜本的対策を講じることが必要になりました。(論拠 ⇒ 『小手先的対策が通用しにくくなったのはなぜなのか?』)

 視野が狭い状態の中で自己防衛本能を働かせることは命取りとなることを肝に銘じなければなりません。林郁夫の態度を他山の石とするためには習慣の全面的な見直しが必要になっているのです。


思考が停止してしまった

 オウム真理教の元信者達は「私だって林郁夫の立場にあったら同じことをしていたでしょう」と証言しています。サリン殺人実行犯になることを止めるチャンスがぎりぎりのところで三度あったにもかかわらず、どうして決行に至ってしまったのでしょうか?

 前述した素直さがない + とことんつきつめて考える習慣がない ⇒ 命令の内容が問題ではなく権威との関係だけが問題になってしまった (教理が良心を封じ込めてしまった) ⇒ 情動的に行動した (ふらふらと行動した)──、という図式に嵌ってしまったからなのでしょう。

 「とことんつきつめて考える習慣がない」という言葉に対して、「林郁夫は心臓外科医としては神様先生と言われるほどの名医である。したがって、とことんつきつめて考える習慣はあったのではないか?」という当然の反論があることでしょう。この反論にお答えします。

 とことんつきつめて考えないと心臓外科手術に成功しないのでしょうか? 「否」ではないでしょうか。なぜなら、この世界は秘められた本質を見抜くことが要求されるよりも超精密技術が要求されると考えられるからです。

 林郁夫はアメリカに留学して心臓外科医としての技術を習得したのであって、彼自身が独創的に開発したのではないことを忘れてはならないでしょう。日本人の得意な「カイゼン」が彼を超一流の心臓外科医にしたのでしょう。

 「オウム真理教はエリートが集まった例外的な主教団体であるにもかかわらず暴挙に走ったのはどうしてなのか?」ということがしばしば言われますが、彼らは本当の意味でのエリートではないと思われます。なぜなら、「学んだ力」はあっても「学ぶ力」はないと判断できるからからです。(詳しくは ⇒ 『学校教育』)

 今抱えている問題は複雑。先行きは不透明性を増すばかり。オウム真理教のエリート達の一大愚挙は他人事ではすまされないのではないでしょうか。


本物のカウンセラーと親交を結んでおくべきであった

 ドキュメンタリー・ドラマ『告白 ― 私がサリンをまきました― オウム10年目の真実』(TBSテレビ、2000年3月5日放映) の中で極めて印象的なシーンがありました。

 平田満が演じる林郁夫がそれまでの態度を一変。西田敏行が演じる取調べ刑事に事件の真相告白に踏み切ったのです。次の図式が実現されたことを筆者なりに理解して深い感動を覚えました。

 林郁夫の心は取り調べ刑事に対して素直になっていった (信頼関係が醸成されていった) ⇒ 心に鬱積していたことが刺激されて会話のリズムが生まれた (頑なであった心が徐々に解き放たれていった) ⇒ 信念を覆すことに結びつく客観的事実を知らされた。

 この図式の重要性は以下に説明する、2種類の人間心理の微妙さにあります。

(微妙な人間心理1) 信念を覆すためには信念の根拠が間違いであることを認識させなければならない。しかしながら、心が開放された状態でないと信念を覆す客観的事実を知らされても、「告白しよう!」と思うには至りにくい。

(微妙な人間心理2) 心を開放するためには話をさせる必要がある。沈黙を守っている人間に話をさせるためには堰を切って話したくなるような話題を誘い水として提供しなければならない。しかしながら、信頼できない人間に対しては適切な誘い水があっても話をしたいとは思わない。


林郁夫の心は取り調べ刑事に対して素直になっていった (信頼関係が醸成されていった)のはなぜなのか?

 担当刑事は容疑者を取り調べるような態度を一切排除して、林郁夫に対して「貴方のような人物がどうして邪教に入信してしまったのか? 残念でたまらない。同じ人間として理由を知りたい」といったような態度を終始一貫して採り続けました。そして、担当刑事の誤解から林郁夫を立腹させた時は率直に非を詫びました。

 対人関係においてこのような処遇を受けて魂を揺さぶられない人間はおそらくいないでしょう。なぜなら、人間が等しく抱いている願望は自分でも気づきにくいことをも含めてとことん理解されることだからです。置かれる状況が辛ければ辛いほどこのような心情は強くなることを理解すべきでしょう。

 筆者の亡き妻が肺癌と闘っている時、「癌と闘っている人とだったらともかくも普通の人とは一切会いたくない」と見舞い客を最期の最後まで拒絶し続けたのも同じことなのです。(詳しくは ⇒ 『末期肺癌の妻を救い出すために破滅寸前に追い込まれた男の話』)


信念を覆すことに結びつく客観的事実を知らされたとはどういうことなのか?

 複雑な世の中は理解しにくい。疑惑がむくむくと沸き上がってくる。さりとて、逃げ出すことができない。こういう状態に置かれている時、「こうあるべきだ」「こうでなければならない」といった具合に信じ込めるものがあると気持ちが楽になるものです。林郁夫もこのような状態に置かれていました。

 林郁夫が教団に対して抱いていた疑念を封じ込め、失敗を認めたくない気持ちを支えていたのは、

 「今の世の中は間違っている。これを糾すのがオウム真理教である。したがって、オウム真理教が国家権力と対立するのは当たり前である」という教理が良心を辛うじて封じ込めていたです。本当に辛うじてであったことでしょう。

 このような心情にショッキングな事実が飛び込んできたのです。担当刑事は林郁夫に対して、「教団所属の青山弁護士が教団は攻撃の対象になっているわけではない」と言っていましたと伝えたのです。

 かくして、抱き続けてきた疑惑や良心の呵責が一気に噴出して、オウム真理教事件を結審させる重大な告白をすることになったのです。

 林郁夫が心の奥底からオウム真理教を信じ、犯罪行為に対する反省の心が全くなかったならば、このような状態はならなかったことでしょう。

 以上のことは何を意味するのでしょうか? 真心を込めて人の話を聞く態度。すぐ感情移入する優しさ。本質をずばり見抜く力…を持った人物と親交を結んでいれば、魔の逸脱世界に吸い込まれることがなかっただろうし、仮に吸い込まれたとしても容易に抜け出すことができたのです。

 林郁夫の悲劇はみなさんにとって他人事ではないはずです。なぜなら、

 今の時代、信念を持ちたいし、持たなければならない。しかしながら、先行き不透明の時代は信念を容易に陳腐化させてしまう。陳腐化した信念を後生大事にしているととんでもないことになる。しかしながら、人間は自分を客観視しにくいので、自力による信念の見直しは困難だからです。


オウムに嵌った林郁夫についての考察はこの頁で終わりです


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