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【渡辺高哉はこんな人物】

                                                     
2009.9.16更新

→私の人生遍歴

歴史的転換の始まりの時代

 長期にわたる穴蔵に閉じこもるが如き状態での研究の結果得た知見の一部を、『脱集団主義の時代』という本にまとめて出版。日経ビジネス、週間読売など数多くのマスコミ誌に取り上げられました。そして、金融ビッグバンの実施。新たに知的武装を整えた、私の市場再参入の条件が揃いました。

 そこで、多額の投資をしてのキャンペーンを張りました。その矢先に、妻・洋子が肺ガンに冒されていることが分かりました。すぐに入院させましたが、医師から見放されました。手遅れだったのです。

 でも、私は諦めませんでした。日本の医学界に疑問を抱く私は色々調べました。その結果、末期ガンから生還した人の話を直接聞くことができ、「治せる。必ず治して見せる」という信念を抱くようになりました。妻も治りたい一心でしたから、真正面から肺ガンと闘ってくれることになりました。

 共闘生活は言葉では表現しきれないほどの壮絶なものとなりました。私の仕事は妻の看病。当然のこととしてそうなりました。したがって、上記の市場再参入のためのキャンペーンは思いきってなかったことにして、頭を切り替えました。でも、迷いがなかったと言えば、嘘になります。

 すべてを捨てる決意を私にさせる決め手になったのは、妻が私を信じきってくれたことです。なにしろ、医者よりも私を信じるのですから、それはそれは胸を熱くしました。私が全身全霊で看病すると、彼女の方ますます私に素直になっていきました。私は人間関係の極意を実体験したのです。

 その結果、私達二人は、私がこれまで見たことも聞いたこともない、心をひとつにする状態になることができました。共闘生活はそれまでの私の人生で一番充実したものになりました。

 ガンだけのことを考えますと、私達が採用した治療方法は成功しつつあったのです。なぜなら、進行を食い止めることができたからです。ところが、胸水がたまったこと、不眠症になったことなどが加わって、薬の世話にならざるを得ず、私達の共闘はむなしい結果になりました。

 生き地獄のような状態から脱するための処置をする直前、つまり死を覚悟した時、私は彼女に泣いて詫びました。「必ず助けてあげるからがんばろう」と、私は彼女に言い続けていたからです。それに発見が遅れたことも、申し訳なさになっていました。

 にもかかわらず、彼女は恨み言を言うどころか、感謝の言葉を沢山述べてくれました。そして、声が出なくなってからも、メモ用紙を要求し、次々と辞世の言葉を書いてくれました。そして、私の手をしっかりと握り締めて、にっこり笑いながらこの世を去っていきました。時は1997年11月2日の午後12時40分でした。

 私は究極の信頼と愛を彼女から貰った思いがしています。人間が生きるということはこんな想いを得るためにあるのではないか。そうだとしたら、私は人生の目的を達することができた。だから、死ぬのは怖くない。こんな風にまで思えるようになりました。

 にもかかわらず、私は「可哀相なことをした」と思う気持ちで今も一杯です。ですから、彼女のことを思い出す何かに触れる度に、言いようのない悲しみに襲われています。だからこそ、このホームページで紹介することになった事業を始めることになったのです。

 バレーのインストラクター、四柱推命や西洋占星術を使った占いをチェックリストに使った人生相談。この二つが亡き妻・洋子の仕事でした。ここで紹介する事業は、この人生相談と関係するのです。

 妻は生前、「大学に入り直して、歴史の勉強を徹底的にしたい」が口癖でした。もっともっと視野を広げないと、本当の人生相談はできない。こう思っての発言。私はこのように解釈しています。

 彼女は、一方において、新生・渡辺高哉の市場再参入に当たっての、私の仕事の進め方と広告の仕方について、「もっと工夫が欲しい」と言い続けていました。この事業にはあれこれこんなことが反映されているのです。

 この事業の準備は1998年の4月9日に開始しました。それまでは心身ともに辛い毎日でした。ところが、この日、私の頭上に安置していた遺骨から彼女の霊が舞い降りてきて、私の体内にすーっと入りこんでくるのを実感したのです。実に不思議ですが、本当なのです。そして、その日から私はほんの少しですが、元気を取り戻したのです。

 主な準備は次の二つでした。洋子の「大学に入りなおして、歴史の勉強を徹底的にしたい」を、渡辺高哉の世界観の精度を上げるに置き換える。これが準備のひとつです。(この準備の成果 ⇒『日本経済を再生させる方法 − 雇用拡大を生み出す構造改革の方法 −』&『日本を復活させるためにはどうしたらよいのか?本格的な共同市場に参加するしかない!』&『mentalacrobat

 私の仕事の進め方と広告の仕方について「もっと工夫が欲しい」を、広い意味での交渉成功の詳細なプログラムを開発する。そして、ホームページなどを使った、プッシュのマーケティング体制を確立する。これがもうひとつの主な準備です。

 悪化した人間関係を修復したり、新たに良好な人間関係を築いたり、新規事業の開発に成功したりする。こういった問題を創造的に解決するためのプログラム化された手法がほぼ完成され、私の手元にあります。将来的には人間研究の側面を持った仕事史から得た知見をも組み込んだモデル思考の考え方を取り入れた、精度の高い手法を開発しようと思っています。孤立した研究専念生活を開始した1991年4月の時の狙いが進化したのです。

新しいパートナーの登場がカンフル注射プラスαになった


 しかしながら、何かに打ち込んでいる時は悲しみから逃れることができましたが、体調を崩して休止すると途端にめちゃめちゃな精神状態になってしまいました。この背景には、故・洋子との共闘が開始されたのは、穴蔵に閉じこもるような長期研究専念生活が完了して現場に復帰しようとして準備を進めていた矢先だったので、「ブランクが長すぎて現場復帰はできないかもしれない」という焦燥感のこみあげもありました。

 
このような私に挑戦精神注入に結びつく事態が発生しました。新しいパートナーとなった愛情と可愛らしさに満ち溢れた節子と出会うことができたのです。かくして2000年の夏頃から年々元気度が増して今日(2011.9.16)に至っています。




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