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前人未到の挑戦に成功するためには、「何とかしなくてはならない…と悩みに悩む ⇒ よしこれだ!と思える行動目標が見つかる ⇒ どんな支障があってもやり遂げよう…と心の奥底から思い込む」というプロセスを踏む必要があります。なぜなら、このような状態になりますと、手足が目標に向かって自然に動くようになるからです。 無我夢中になって挑戦目標を追いかけることを可能にする「イノベーションのロジック」が注入されているのが上記の状態なのです。イノベーションを成し遂げるためには、爆発的な欲求をためこみ、これに火をつける必要があるのです。 林郁夫が麻原彰晃に帰依することになったのは、上記のような「イノベーションのロジック」が注入されたからであると解釈できます。── この解釈の根拠を分かりやすくするために簡略化した説明をします。
手術が成功したはずなのに亡くなる患者がいる。一方において心筋梗塞を起こした患者の心臓を「助からないだろう」と思いつつ乱暴に開いたら助かったりする。 こういう経験を重ねた林郁夫は「手術を100%成功させたい」という想いの下に、患者の鼻に糸を入れたり、大量の水を飲ませてぴょんぴょん飛び跳ねさせる等の試行錯誤を重ねた。(医学的な動機は定かではありませんが、生命蘇生のための人工呼吸等のショック療法の応用版であると推測されます) しかしながら、医学の限界を乗り越えることができなかった・・・・・。 仏教の勉強をすることになった彼は「手術を100%成功させるためには仏教の最終解脱者になるしかない」という結論を得て、阿含教に入信したが、「日暮れて道遠し」であった。発火寸前の爆発的な欲求がためこまれたのです。
そんな状態に置かれていた時に、麻原彰晃の著書に遭遇しました。そして、麻原彰晃がインドで修業を重ねた結果、現存する唯一の最終解脱者になったこと、出家制度で成就者を出した実績があること、設立・主導しているオウム真理教の教義が明快であること…を知ることになりました。 林郁夫は「これだ!」「これしかない!」と思い込み、全財産の8,000万円を寄進して家族全員がオウム真理教に入信したのです。鬱積しきっていた欲求が刺激を受けて爆発してしまったのです。「溺れる者が藁をも掴む」のと同じ想いだったのでしょう。 ここまでの説明を読み、林郁夫の家族構成を知った人であれば、「医師である林郁夫の奥さんは冷静な判断力を持っていたはずである。夫の行動をどうして阻止できなかったのだろうか?」という疑問を抱くことでしょう。どんな謎が隠されていたのでしょうか?
林郁夫が火事場の馬鹿力のような超人的精神エネルギーを持つに至っていた。奥さんは敬愛している林郁夫の意にできるだけ沿いたいと思っていた。早くに父親を失った奥さんは子供に自分のような経験をさせたくないと思った。── この三つの条件が揃ったからなのでしょう。 林郁夫が全てを投入してオウム真理教に入信を決断した時の心理状態は、火のような情熱を持った研究開発型企業の経営者が妥当性を欠く技術・事業の開発にありったけの資金を注ぎ込む姿と似ています。3項目からなる教訓を汲み取らなければなりません。
重大事を身内だけで相談したり、猪突猛進することが悲劇に結びつくのは林郁夫だけではないことを忘れてはなりません。(その他の例 ⇒『加藤宏一氏の乱』)
不適切なイノベーションのロジックが注入されてしまったために林郁夫の人生が台無しになってしまった。このことの駄目押しに結びつく二つの例をかいつまんで紹介します。 (例1) 末期肺癌の妻を救い出すために破滅寸前に追い込まれた男の話 体調を崩した女性が近所の医院で診察を受けたところ、「異常ありません。健康そのものです」という結論となった。帰りかけたところ、「区のキャンペーン中ですので、レントゲン写真が今だったら無料です。念のために撮りますか?」という誘いに乗ることとなりました。 彼女は待ちに待たされました。そして、驚愕の表情をした医師から「紹介状を書きますからすぐに大学病院に行ってください」と伝えられました。・・・・・「長くても3ヶ月の命です」と宣告される帰結となりました。末期肺癌だったのです。 この女性の夫は「早く気づいていれば、こんなことにはならなかった。自分の責任だ。別居していたことは言い訳にはならない」と痛恨。同時に抱き続けていた日本の医学界に対する不信が首をもたげてきました。(不信の根拠 ⇒『日本の医師は洞察力大幅不足になるしかない』 末期癌から生還した人を捜し出し、直接話を聞くことに成功。・・・・・「必ず治る。治してみせる」と心の奥底から思い込むようになり、精神に異常をきたしたような病との闘いが始まりました。この気持は末期癌の女性に完全に乗り移りました。したがって、彼女自身も「必ず治る」「なんとしてでも治そう」と思うようになりました。 非西洋医学的な治療方法を見つけるための文献調査や講習会への参加を重ねただけではありません。・・・・・自宅療養は順調に推移。ところが、訪れることになった極度の不眠症に肺にヘドロが溜まったことに起因する呼吸困難が加わったためにやむなく自宅の直ぐ近くの病院に再入院。火事場の馬鹿力のような生活を連日続けることになりました。 朝6時前から消灯時間まで連日病室通い。激痛から気を紛らわせる。と同時に絶望の淵に沈みかねない精神を支えるために彼女の両脚マッサージを行うための目一杯の看病。帰宅後の彼女の治療のための煎薬・洗濯・食事等が終わるのは朝の1時過ぎ。うとうとすると、病院からの呼び出し電話が鳴る…のは稀ではない。 「惨めな姿を他の人に見られたくない」という彼女のたっての要請を受け入れ、上記のような生活をこの男は独りで無我夢中で送っていたのです。治療成功の奇跡が起きるのを最期の最後まで諦めることなく。 彼女は甲斐なく他界してしまいました。この男は実の姉から「本当によくやった。しかし、あんたのやったことは実に馬鹿げたことだったのよ」と通夜の席上で言われてしまいました。 「弱みを見せまい」と必死でこらえていたために葬儀中やその後の客との応対で露見することはありませんでしたが、共闘生活が後一週間以上継続したら落命していたほど肉体が蝕まれていました。舌全体が黒く腫れあがり、眼底の激しい疼痛に襲われる状態が半年ほど続いたのです。両手の痛みは今も少し残っています。経済的にも大きなダメージを受けてしまったのは言うまでもありません。 この男とは「思考の三原則」(全体を見る/長い目で見る/根本的に考える)をほぼ充足したはずの筆者なのです。無我夢中になっていた共闘当時には亡き妻を末期肺癌から救い出せると本気に思っていたのです。だから、林郁夫の気持ちがよく分かるのです。(故・洋子との共闘物語) (例2) 男性を女性であると思い込んで同棲生活を送った男の話 若いフランスの男性が清朝末期の中国のことをアドベンチャラスな国であると思い込み、胸を膨らませて外交官として赴任しました。ところが、当時の中国社会は閉鎖的でしたので、外国人と中国人の交流は容易ではありませんでした。 鬱々とした生活を送っていた、この若いフランスの男性はとあるパーティーで小柄でスリムな中国男性が目に飛び込んできました。傑出した雰囲気があったからです。 つかつかと近づき、会話を交わしたところ、溢れるばかりの知性の持ち主でした。すっかり気に入ってしまい、交流することになりました。ホモの傾向がいささかあったこの若いフランスの男性はこの中国人男性に恋心を抱くようになりました。 この中国人の本職は劇作家ですが、外国の外交官を相手に中国語の個人教師をもしていました。・・・・・ある日、中国語を教える場面に同席。不思議なドラマの話を聞くこととなりました。 産婆と両親以外は知る者なし…という状態で出生以来女性でありながら男性として育てられた人物がある男性に熱烈な恋心を抱くようになりました。この人物は恋を成就させるために相手の男性に秘密を打ち明けて、めでたく結ばれた。 ── こういう話でした。 女性が男性として育てられることが中国では珍しいことではないことが若いフランスの男性に巧妙に刷り込まれたのです。・・・・・ プラトニックではありましたが、中国男性と相思相愛の関係になっていた若いフランスの男性はいつの間にか「彼が女性であったら結婚できるのになぁ」と思うようになっていました・・・・・。 夢見ていた願望が叶えられる日がやってきました。「実は私は事情があって男性を装っているが、本当は女性なのです」と打ち明けられたのです。 この若いフランスの男性は飛び上がるように歓喜して信じ込み、堰を切ったように同棲生活が始まりました。男女として幸せな生活を送っていましたが、離別の日が間もなくやってきました。動乱の時代でしたので仕方がないことだったのです・・・・・。 この二人はスパイ容疑で囚われの身になり、獄中で再開。この中国人は女性ではなく男性であることを告白。そして、事実そうであることが判明しました。 この若いフランスの男性は無我夢中になることが重なったために常識では考えられないような錯覚に陥ってしまったのです。 ── これを図式化して示すと、次の通りとなるのではないでしょうか。 アドベンチャラスな生活をしたいという欲求が鬱積していた ⇒ 知的、かつ女性的雰囲気を漂わせた中国男性に会い、鬱積していた欲求に火がつき無我夢中になった ⇒ 「女性であればいいなぁ」という欲求が鬱積した ⇒ 「私は実は女性です」という言葉を耳にして、鬱積していた欲求に火がつき無我夢中になり、男性を女性と錯覚してしまった。 心の奥底から信じたいと思うことは信じてしまう。これが人間なのです。前述の例1を経験した筆者はこの若いフランスの男性が陥ってしまった錯覚に納得できます。
前人未踏な大事を成し遂げるためには、鬱積しきった欲求に火をつけて理性を超えた爆発的なエネルギーを生み出させなければならない。火事場の馬鹿力のような。ところが、罷り間違うと魔の逸脱世界に吸い込まれてしまうのです。 欲求が鬱積しきるのは、麻原彰晃に吸い込まれてしまった林郁夫並びに上記の二つの例(末期肺癌の妻を救い出すために破滅寸前に追い込まれた男の話/男性を女性であると思い込んで同棲生活を送った男の話) のような特殊なケースだけでしょうか? 「否」です。なぜなら、現代社会は様々な欲求をとことん鬱積させがちだからです。(根拠 ⇒『1、日本社会の生命力が低下しつつある』 だからといって、鬱積した欲求を博打等で解消させるだけでは能がありません。日本再生のためには真のベンチャー力を持った人材の輩出が必要不可欠だからです。(根拠 ⇒『デフレ経済の本当の原因』) 鬱積しきった欲求に火がつけられると、爆発的なエネルギーが生まれることはよく分かった。しかしながら、このエネルギーが理性を失わせ、人を「無我夢中」状態にしてしまうのはどうしてなのか? ── この当然の疑問を解くことを次に試みましょう。
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