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企業の変身・成長を確実に成功させる秘訣

 
 ─ 短絡的行動が大失敗に結びついた事例の分析と教訓 ─


 
自民党の加藤宏一氏が「政界のプリンス」の座から滑り落ちる原因となってしまった「加藤宏一氏の乱」を取り上げます。この分析はこの事件がマスコミを賑わした直後に行いました。このことを踏まえて以下の文章をお読みください。(2005年2月21日記)


「加藤宏一氏の乱」はなぜ起きたのか

 政界のプリンスとまで言われていた加藤宏一氏が悲劇の主人公を演じることになったしまった真の原因は、国民世論に屈したことにあるのではありません。

 下記の図式の下で同氏が色々な意味での防波堤を失ってしまっていたことに根本的原因があると言えます。

 座礁脱出の必要性があった + 陳腐化してしまった経験則を盲信していた ⇒ 森政権クーデター未遂事件が発生した ⇒ 加藤派がとうとう分裂してしまった ⇒ 政治力が急低下してしまった。

 「思考の三原則」 (全体を見る/長い目で見る/根本的に考える) を適用することのない、短絡的行動を採って大失敗した典型的な事例として「加藤宏一氏の乱」を簡単に説明させて頂きます。

 渡辺高哉が関わった企業や個人の事例の紹介の方がより適切ですが、機密保持の上からこれは不可能です。そこで、広く一般に知られている「加藤紘一の乱」を取り上げることになった次第です。


1 クーデター画策の背景

 理念や理論では動かされない。感情で動く。しかも、日本の社会はウチとソトが明確に分かれているので、公共精神は希薄。これらが日本人の体質です。したがって、日本の社会は強制的に束ねるものがなければ、戦国時代のようにばらばらになりやすいのです。

 「これでは国際社会の中にあって、日本の国益を守ることはできない」ということで採用され続けてきたのが、戒律がひかれた幕藩体制から今日に至るまでの「国民総囲い込み体制」なのです。ところが、この「国民総囲い込み体制」が崩壊しつつあります。なぜなら、わが国を強力に束ねてきた、二つの体制がすっかり無力になりつつあるからです。

終身雇用を前提とする年功序列式人事・退職金・企業年金の三点セット、わが国内外の他社や組織に所属していない個人へのアウトソーシング(仕事の外注)の困難性をバックにする系列取引。この二つからなる「長期コミットメント体制」。

アウトサイダー (いずれの企業集団にも所属していない「一匹狼」型の企業や個人) の徹底的排除を可能にしてきた「政官財のトライアングル体制」。

 一方、個が開放されても、社会秩序を保つことを可能にする「ネットワーク型社会」が定着するには時間がかかります。だから、国民は失政続きの自民党を完全に見放してはいないのです。「自民党が立ち直って、当座しのぎをしてくれたらなあ」が多くの日本人の本音なのです。

 加藤宏一氏が森政権末期にクーデターをしかけようとしたことに国民が熱い期待を寄せた背景には、上記したようなことがあるのです。加藤宏一氏は機を見るに敏だったのです。同氏は自民党きっての英才ぶりを証明したのです。


2 クーデター失敗の原因分析

 にもかかわらず、加藤宏一氏のクーデターが不発に終わり、多くの人々の失笑を買うことになってしまったのはなぜなのでしょうか? 主な理由は三つあります。

(理由1) 国民の大多数は森政権に批判的。そして、加藤宏一氏の所属する宏池会は世論重視。したがって、加藤宏一氏はごくごく自然に独走してしまい、派閥の結束を固める努力を怠りました。自民党一党支配体制が磐石である中にあって、宏池会は保守本流でした。だからこそ、派閥の結束よりも世論重視でもOKだったのです。

 (自民党一党支配体制はすでに崩壊ずみ。そして、自民党は凋落傾向。したがって、保守本流は正の遺産ではなく、逆に負の遺産。となれば、世論重視だけでは安閑としていられなかったはずです)

 加藤紘一氏が内部の結束を重視する経世会のボスでしたら違った行動を採ったことでしょう。人間は通用しなくなったにもかかわらず、習慣となっている行動を採りがちなのです。

(理由2) 世論のみを頼りにし内部結束の強化を怠っても、中選挙区制であれば、特定選挙区に自民党が複数の議員を当選させることができます。ところが、今は小選挙区制。しかも、選挙民の自民党離れが進んでいる。したがって、同じ自民党から加藤派の議員の対抗候補が擁立されると、自民党支持票が割れて、加藤派の議員は落選してしまう危険性が大だったのです。

 かくして、宏池会は主流派に飴と鞭を使われて揺さぶりをかけられ、内部分裂してしまったのです。「競争条件の変化」を失念することはよくあることなのです。

(理由3) 加藤派議員を蹴落とすために自民党が対立候補を擁立しても、加藤宏一氏が国民の待ち望んでいる「自民党の再生」を標榜して新党を結成していれば、同氏は戦いに勝てる可能性が大きかったはず。ところが、同氏は「自民党を脱党しない」ことを明言し続けてきたのです。


 加藤紘一氏は環境が様変わりしたにもかかわらず過去の延長線上を突っ走ってしまったのです。自分が置かれてきた環境はいつまでも続く。人間はどうしてもこのように思いたくなるものなのです加藤宏一氏は幾重にもミスを犯してしまったために、せっかくのチャンスを活かせなかったのです。


加藤宏一氏が採るべきであった行動

 「悲劇のプリンス」にならないためには、新党結成を宣言し、時間をかけて政権奪取の構想を練り、同志の結束強化と拡大を行ってから、クーデターに乗り出すべきだったのです。具体的には、少なくとも次のような2ステップを踏むべきだったのです。(企業経営に参考になるように説明させて頂きます)

(ステップ1) 認識できた大きな商機を分析し、ニュービジネスの選択肢をできるだけ数多く発想する。(選挙民のニーズを分析し、政権奪取の政策の選択肢をできるだけ数多く立案する。これが加藤紘一氏の採るべきであった第一歩なのです)

(ステップ2) ライバルに簡単に真似られてしまい、物量作戦をしいられ、体力を消耗してしまうことにならないような選択肢の選定をする。具体的には、ライバルの戦略分析を行い、ライバルの行動力学を見抜き、ライバルが追従しにくい、つまり模倣しにくい選択肢を選択する。

 そして、詰めの作業を行う。 (既得権益を短期間で打破しにくいなどの自民党主流派の力学を見抜き、自民党主流派が追従しにくい政権奪取構想を確立する。これが加藤紘一氏の採るべきであった第二歩なのです)

「加藤宏一氏の乱」は他人事ではない

 人生・ビジネスの山の時期を長く保ち、谷の時期を短くする。こういう理想的な人生・ビジネスが歩めるようにするためには、次のような習慣を持たなければなりません。

  (順調なとき)   
「なぜ順調なのか」を折に触れて考え抜く。
  (不順調なとき) 「なぜ不順調なのか」を集中的に考え抜く。

 能力とその使い方が環境にあっている場合は順調。能力あるいはその使い方が環境にあっていない場合は不順調。 ── こういうことに気づくはずです。

 上記のような心構えに基づく人生・ビジネスを送り続けて始めて、「治にあって乱を忘れない」「乱にあって治を忘れない」という格言を生かすことができるのです。

 ところが、ほぼ一直線の環境が超長期にわたって続いたために、圧倒的大多数の日本人はこのようなマネジメント思考を持つことのない人生・ビジネスを送ることになりました。かくして、ワンパターン的行動様式が染みついた人々が輩出されることになりました。

 大変容時代の到来は営々として培ってきた経験則が通用しない、複雑な問題を生み出しているのです。ですから、「加藤宏一氏の乱」は他人事ではすまされないのです。猪突猛進は取り返しのつかない失敗に結びつきます。だからといって、何もしないですまされる時代ではありません。(お勧めする対策 ⇒ 『プロフェッショナル・シミュレーション・サービス
 



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