[TRI] Total Renovation Institute 新創業研究所(古河イノベーションセンター)
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【斬新な着眼】



→社会的歪を「実に面白い。実現できそうだ。わが社にもチャンスがある」と思われるように認識する。これが新規事業開発に成功する第一歩だ ― ゆで蛙のような状態に陥っている農業再生のあり方から考える〈2000/5/12〉

 産業界はより便利なもの、より役に立つものを開発し、消費者はそれを買い求めることで経済が活性化し、その結果、個人消費がGDPの約6割になってしまった。この個人消費が低迷しているから、日本経済は長期不況から脱出できないでいる。そこで、様々な対策が講じられている。

 しかしながら、産業界がいわゆるリストラを行うだけでは、個人消費は決して活性化しないであろう。なぜなら、極論すると、買い替え以外に消費者が買いたいものがなくなってしまったからだ。将来不安から来る買い控えが消費不振の主な原因ではないのだ。

 それでは、経済の繁栄をもたらしてくれた工業化は社会的満足を生んだだけなのであろうか。「否」である。当然のこととして、あらゆることに目配りできるものではない。したがって、経済開発が進んだために、歪や不満を生んでしまっている。一方、人間の欲望には限りがないので、経済開発が進んだために新しい需要が生まれている。

 飢えを満たすことができさえすればよい。快感を味わいつつ飢えを満たしたい。快感を味わいつつ個人的課題に役立つ形で飢えを満たしたい。食糧を例にとると、経済開発が進むと、需要はこのように変化する。個性的需要に着目しさえすれば、ビジネス・チャンスは絶えることがないのだ。

 ビジネス・チャンスは消費者の個性的需要にあるだけではない。特定地域に犠牲を強いる形で建設されてきた集中型発電所では今後増大する電力需要を賄いきれない。そこで、分散型発電所建設が必要になる。分散型発電所を建設するためには、燃料電池とマイクロタービンの技術が必要となる。といったような社会的需要も大きなビジネス・チャンスなのだ。

 以上から明らかなように、ビジネスチャンスはいくらでもある。にもかかわらず、日本の企業が生き抜くために必要な新規事業の開発がままならないのはなぜであろうか。新成長機会を一般論としては認識できても、「面白い。実現できそうだ。わが社にもチャンスがある」と思われるように、新成長機会を認識できていない。こういうことがまず言えるのではなかろうか。

 世に氾濫するように紹介されている企業の新成長機会は、読者の知的好奇心をくすぐられるように論理構成されなければならないのだ。知的好奇心をくすぐられて始めて「よし詰めてみよう」と思いこめるであろう。「わが社の新規事業開発のために、世界の農業問題を詰めてみたい」とできるだけ多くの方々が思ってくださるように、議論を展開したい。

1、世界の農業は行詰りつつある

◎集約農業が大自然の生態系の破壊に結びついている

 ラットに、わずか10日間、遺伝子組替えジャガイモを与えただけで、免疫力が明らかに低下し、胃の内壁には癌につながる腫瘍が発生。このような報道にあるように、遺伝子組換え食品の安全性に疑いが発生した。そして、遺伝子組替え食品の生産本場である米国は日本とヨーロッパの消費者の圧力に屈して、対策に本腰を入れることとなった。

 遺伝子工学を使った農作物の生産は上記のような健康不安だけが問題なのであろうか。「否」である。ハイテク農業は健康不安だけではなく、質のみならず量的な生産性をも損なうことが確実になりつつあるからだ。この辺りの事情をかいつまんで説明すると、次の通り。

 生産性の高い品種を選定し、除草剤に対する抵抗力が強くなるように遺伝子操作を行った種子を開発する。そして、この種子を植えつけ、除草剤を散布する。このような遺伝子工学の応援を得た集約農業は大豊作を実現させる反面、次のようなことを引き起こしている。

 「これで安心」とばかりに、大量の除草剤が散布されるために、上記のように遺伝子操作された種子の植物だけが生き残り、他の植物は絶滅に向い、様々な植物から成り立つ自然の生態系が破壊され、これは有益な虫の減少に結びついていく。有益な虫の減少は植物の種類の減少に結びついていく・・・・・。とめどもなく悪循環が続いていく。

 有益な虫の減少は上記した図式から生じるだけではない。遺伝子操作された植物の毒素を含んだ花粉が地中に長期間滞在し、地中の幼虫を殺すことに結びつくことからも発生している。

 自然の生態系の破壊は上記のような有益な虫の減少だけに留まらない。集約農業に伴って行われる灌漑は二つの悪い影響を招いている。ひとつは塩害。もうひとつは地球全体の水問題の深刻化。灌漑は短期的には水不足を解消しているが、地中の水資源を枯渇化させることに結びついているのだ。

 集約農業の弊害は植物生産だけのことではない。家畜生産も同罪。工場生産の如くに狭い場所で大量の家畜を飼うことが一箇所での大量の糞発生を、一箇所での大量の糞発生が水質の汚染を招いてしまっているからだ。


 農産物を効率よく生産するために採用された集約農業はボクシングにおけるボディー・ブローの如くに大自然を蝕み、人間の生存のみならず農業自身にも取り返しのつかない事態を招きつつあるのだ。だからといって、このような事態は徐々に進行していく性格を持っているので、農業が今すぐ壊滅的な打撃を受けるわけではない。しかし、現状路線を歩む限り、破滅の日は確実にやってくる。

 水の入った釜に火をつけて、その中に蛙を入れる。すると、蛙は徐々に水の温度が上がるので、生命の危険を察知することなく、茹で上がるまで釜の中に居続ける。世界の農業が陥っている状態は、この「ゆで蛙現象」と酷似している。

◎無理な集約農業を行っても、数多くの人の飢えを解消できていない

 食糧増産のために採用された集約農業が地球人の胃袋を賄い切ることに結びつけば、上記したマイナスの側面はその分多めに見ることができる。ところが、事実はそうではない。なぜなら、権威筋の情報によると、8.3億人の人が食糧不足に悩まされているからだ。これでは犠牲を強いられた大自然が救われない。

◎農業は悪循環的に量的拡大を行っている

 グリーン革命のお陰で世界、特にアジアの食糧生産は1970年代に飛躍的に伸びた。農業の生産性革命が実現したのだ。ところが、近年の伸びは1970年代の3分の1に落ち込んでしまった。農業の量的生産性向上が限界に達しつつあるのだ。

 量的生産性の向上が限界に達したのであれば、付加価値生産性を高めることでカバーする。これが常識的なやり方。だが、農業の場合はそれができていないどころか、逆の現象が生じてしまっている。

 1950年における世界のアグリビジネスの総額、4200億ドルの内、農業が3分の1を占めていた。ところが、農業の占める割合は年々減り、2028年までにアグリビジネスの総額は10兆ドルに拡大するが、農業の占める割合はなんと10分の1になることが予想されているのだ。

 農業の付加価値生産性が相対的に急低下することは、農業がアグリビジネスの中にあって、下請け的な立場に陥落してしまったことを意味する。どうしてそうなってしまったのであろうか。

 遺伝子工学の発展に伴って、デュポンのような種子メーカーが強力になった。と同時に、ブランドの重要性が上昇するに伴って、ゼネラル・ミルズのような食品加工メーカーが強力になったからだ。

 種子メーカーが強力になったということは、前述の遺伝子組替え種子の例が物語っているように、農産物の生産性は農業のあり方よりも種子によって決まる度合いが高い。言い換えれば、農業よりも種子産業の方が遥かに知識技術集約的になってしまったことを意味する。

 農業の知識技術集約度が少なくなっても、農産物の販売先に対する支配力があれば、その分、農業側に有利な価格の設定が可能となる。ところが、農産物の大需要家である、食品加工メーカーがゼネラル・ミルズのように巨大化してしまったために、これも望めなくなってしまった。

 農業がアグリビジネスの中にあって下請け産業的な立場になってしまったとしても、 供給よりも需要が上回る形でアグリビジネス全体のパイを拡大できれば、その分、農業部門も恩恵を蒙ることができる。ところが、それは叶わない夢となっている。なぜなら、8.3億人の人が食糧不足に悩まされていながら不思議なことに、全消費量のなんと18%がストックされている。言い換えれば、ビジネス的には農産物は生産過剰となっているからだ。

 食糧生産は幾何級数的に増大する人口の増加にとても追いつけるものではないとする「マルサスの原理」がある。しかも、例外的な国を除いて、所得は戦後一貫して上昇してきている。農産物ビジネスの事業環境は良好なはず。にもかかわらず、農産物はどうして過剰生産の状態に陥っているのであろうか。二つのことが原因していると言えよう。

 農産物は上記したように低い利益率に甘んじなければならない立場にある。この立場が続く限り、農業の収益拡大の方法は量的拡大しかない。農産物はなまものであるので、市場原理が量的拡大に歯止めをかける役割を担うはず。ところが、政府助成金がこの歯止めを外すことに結びついている。これが農産物を過剰生産の状態に陥れている原因のひとつ。

 食糧は家電製品のように一度買われたらずーっと在庫されたたままというようなことはない。消耗品だから、ストックの概念がない。これは商売をする者にとってありがたいことなのだが、胃袋の制約という、量的拡大の壁が待ち構えている。だから、米国を例にとると、エンゲル係数は18%にまで落ち込んでいるのだ。

 ここまでの議論ですでにお気付きになられたように、過剰生産やエンゲル係数の落ち込みは「運命なのだ」と諦める必要はない。過去の延長線上を突っ走り、単純な量的拡大のみを追及するからこういうことになったのだ。その姿は、わが国の工業が量産・量販の経営を突っ走り続けた結果行詰ってしまったのと酷似している。

2、世界の農業は複合融合農場経営に転換しなければならない

◎第一のフォローの風「医食同源」に乗るために、高機能農産物を生産しよう

 世界の農業はデッドロックのような状態から脱するためには、大自然の生態系を取り戻し、その中で農産物の生産を行うことを目指さなくてはならない。これが以上の議論から導き出させる結論であることに異論を差し挟む向きは少ないであろう。但し、この理想を単純に追求するだけでは、二つの問題が残されたままとなる。

 アグリビジネスにおける農業部門の低収益性は解決されない。なぜなら、特定少数の生産者のみが有機農業を行うのであれば、その他の農産物との差別化により、高収益路線を歩むことが可能になる。ところが、これでは世界の農業が抱えている問題の解決にはならない。さりとて、世界農業が特徴のない有機農産物を一斉に生産するのでは、価格競争から脱却できないからだ。これが残されたままとなる第一の問題。

 次から次へと新製品が登場する。世界には新・珍・奇なものがいくらでもある。こういう時代であれば、モノや見聞によって人生を楽しむことができた。妙な言い方だが、だから、日本のような個の抑圧社会を維持することができた。(モノや見聞によって人生を楽しむことができなければ、個の抑圧はストレスの蓄積に結びつき、蓄積されたストレスがいずれそこら中で爆発し、社会秩序が保てなくなるのだ)

 ところが、工業化の限界並びに交通・通信手段の発達により、モノや見聞によって人生を楽しむことが難しくなってきた。最近叫ばれるようになっている、個の解放はこういう面からも必要なのだ。

 モノや見聞によって人生を楽しむことが難しい。一方、個性的な生き方を追求することが可能になった。この二つは、自分自身をとことん楽しむ時代がやってきたことを意味する。自分にしかできないことを達成して自分にうっとりしたり、人間関係で究極の愛と信頼関係を確立し、至福の境地に浸る。このようにして人生を楽しみたいと思う人が急増するであろう。

 ファッションを楽しんだり、ピアスで顔を飾ったりすることも自分自身を楽しむことであることは間違いのないところであるが、このような形での自己耽溺は上記したような生き方が見つからない場合の逃げ道であろう。

 自分自身をとことん楽しむことができるようになった場合、人の意識はどのように変化するのであろうか。健康を害すると気が滅入ってしまい、自分自身を樂しむどころではなくなる。したがって、自己責任概念が追及される時代になってきたこととあいまって、「自分の健康は自分で守らなくてはならない。病気になってからでは遅いので、日常生活に気をつけよう」と思う人が増えるであろう。

 したがって、「医食同源」の考え方が急速に普及していくであろう。なぜなら、食べ物が身体づくりの基本、その他は補助的手段にしか過ぎないからだ。

 一方、安全性保証の課題が残されているにしても、ビタミン含有量の高い米の生産が技術的に可能となっていることから明らかなように、遺伝子工学の適用によって機能性の高い農産物の開発が可能になっている。

 「医食同源」の考え方が消費者側に急速に普及する。遺伝子工学の適用によって機能性の高い農産物の開発が可能になっている。この二つを結びつけると、遺伝子工学の適用目的を農産物の量的生産性向上から質的生産性向上に転換させ、アグリビジネスのパイを拡大させる。特定需要のみを狙った契約栽培により、農産物の非価格競争力を強化させる。このような農産物生産の姿が浮かび上がってくる。

◎第二のフォローの風「快適空間」に乗るために、大自然の故郷を提供しよう

 以上のようにして、農産物生産の付加価値生産性を向上させることによって、農業部門の低収益性はかなり解決できるだろうが、これだけでは万全ではないかもしれない。だが、大自然の生態系の下での農業経営は低収益性打破の駄目押し策を提供してくれる。

 人類の歴史が進めば進むほど都市化が進み、生活環境から大自然が姿を消していく。ところが、人間は人工的な環境の下だけでは心身の健康を保ちにくいところがある。だからか、本能的に大自然の環境が恋しくなる都会人が少なくない。したがって、理論的には快適環境提供産業が成立できるのだ。

 しかしながら、快適空間に対価を積極的に支払う人がいなければ、快適環境提供産業は理論倒れに終わってしまう。実際のところ、どうなのであろうか。

 インテリアなどの雰囲気が気に入った喫茶店を発見すると、割高なコーヒーを飲むために、少々遠くてもこの喫茶店をしばしば訪れる。いわゆる好感度人間にはこういうところがある。この好感度人間たちは快適な空間に浸ってひとときを過ごすことに大変な喜びを感じるのだ。

 そして、このような好感度人間はこれから増加していくであろう。なぜなら、工業化の行き詰まりは物質的な価値よりも精神的な価値を大事にする人の増加に結びつくからだ。(前述した自分自身をとことん楽しむ人が増えるのは、物質的な価値よりも精神的な価値を大事にするからであって、同じことが快適空間志向についても言えよう)

 したがって、大自然の生態系の回復は農業が快適環境提供事業を併営できる可能性を示唆してくれる。但し、この可能性を現実のものにするためには、それ相応の工夫が要る。

 引退した高齢者は医療施設や自然環境がどんなに整っていても、人里離れたところで生活することを決して好まない。引退し、人生の終末を迎えつつある人は人恋しいからだ。一方、働き盛りの人は自分に自由になる時間がなかなかとれない。だが、前述したように、大自然の下で定期的に余暇生活を送りたいもの。

 そこで、大自然の生態系の下での農業が次のようなレジャーライフを楽しめる施設を運営することを提唱したい。

 大自然の生態系の下で様々なスポーツ・釣り・散策・バードウォッチングなどがのんびりできるので、野外での余暇生活を満喫できる。電気・ガス・水道などのライフラインだけではなく、宿泊・医療・買い物施設などが整っているので、日常生活を送るのになんの不自由もない。交通のアクセスが良いので、訪れやすい。そして、核となる住民として農業従事者が存在している。

 このような「国民休暇村」であれば、引退した高齢者は喜んで移住し、ここで人生を全うしてくれるであろう。なぜなら、大自然の中で不自由なく暮らせる。その上、家族や知人が余暇生活を満喫するために定期的に訪ねて来てくれることが期待できるからだ。

◎美味な高蛋白植物生産並びに世界の最貧国の根本的な救済を行おう

 農産物の非価格競争力を強化し、「国民休暇村」を併営することによって、農業部門の高収益が可能となっても、世界の食糧不足は解決できそうにもない。なぜなら、前述した、食糧不足に悩まされている、8.3億人という数字は余りにも大きいからだ。

 肉や卵を食べることは動物の腹を通して植物を摂取することを意味する。動物蛋白を摂取することは贅沢な食事の仕方なのだ。だからといって、この植物の間接摂取は止めにくい。なぜなら、生命維持に必要不可欠な蛋白を採るのであれば、肉や卵の方が容易だし、美味だからだ。

 だが、遺伝子工学の発展を考えると、蛋白含有率が高く、しかも美味な植物は可能であると考えてもよいであろう。この考え方が正しいとすれば、前述した、農産物生産の量的生産性から質的生産性向上のために適用する遺伝子工学は、高蛋白、かつ美味な植物生産を目指すべきであろう。

 これだけでは世界の食糧不足を解決できないのであったら、ほぼ農業生産に専従しながら食糧援助の対象となっている、サハラ以南の国々やバングラデッシュなどにも、これまで述べてきた農産物生産の考え方を導入する必要があろう。

 このように言うと、「先進国が農業保護を止めない限り、サハラ以南の国々やバングラデッシュなどの農業は自立できない。なぜなら、援助物質となっている農産物が出まわっているので、通常の農産物生産が経済的に成り立たなくなっているからだ」という当然の反論があるだろう。

 しかし、この反論は間違っている。なぜなら、筆者は"農業革命"によって、先進国の食糧援助の原因となっている農産物の過剰生産を是正する。と同時に、サハラ以南の国々やバングラデッシュなどの農業が自立できるようにしよう。このように主張しているからだ。

3、農業革命を確実なものにするためにはニュービジネスが必要になる

 世界の農業が抱える問題の解決策が生み出す、新しいビジネスチャンスは農業部門の事業多角化の対象となる「国民休暇村」だけであろうか。「否」である。

◎大自然の生態系活用型農業への転換コストの回収を容易にするビジネスがある

 世界の農業が人工的な集約型から大自然の生態系活用型に転換するためには、巨額の先行投資を必要とする。この巨額の先行投資の回収を高付加価値農業・国民休暇村の併営・漸次的に実現する量的生産性の上昇の三つだけに依存するのでは、時間がかかりすぎて、これまで述べてきた"農業革命"は緒につきにくいであろう。

 "農業革命"によって恩恵を受けることができるのが農産物生産者と消費者だけであれば、これまでの議論は単なるお話に終わってしまいかねない。果たしてそうであろうか。「否」である。

 農産物を生産するかたわら自然環境を保全する。これが農業の本来の役割。ところが、農産物の生産にも支障をきたす形で逆に自然環境を破壊しつつある。このようになってしまった今の農業の姿を、市場原理にのみ委ねているのでは解決しにくい。となれば、これは堂々たる公共投資の対象となる。

 ところが、農業問題の抜本的な解決を政府のみに委ねるのでは「日暮れて道遠し」になりかねない。仮にそうはならなくても、政治が介入すると、他の例が示すように、ろくなことになりかねない。となれば、民間企業が政府の応援を頼んで"農業革命"を行うべきであろう。

 農産物生産者と消費者以外に"農業革命"によって恩恵を受けることができる民間セクターを探さなくてはならない。

 消費者への食糧の供給は、遺伝子操作を行う種子メーカー・農業・食品加工メーカー・食品小売業の連鎖的存在によってなされている。しかしながら、この4者のこれまでの主たる関心は企業経営における量的効率化の追求であった。したがって、消費者のことを念頭に置いたそれぞれのあり方を考えるようなことは余りなかった。(だから、前述したような食糧供給の実態になってしまったのだ)

 ところが、食糧の供給体制は量的追及から質的追及に転換しなければならないのであった。となれば、消費者の個性的需要にジャスト・フィットした食糧を供給するために、種子メーカー・農業・食品加工メーカー・食品小売業の4者は統合された関係にならなくてはならない。

 それから、ID野球ならぬID農業の成功例が出てきていることを考えると、農業機械などの農業施設供給業者も上記の4者の中に加わるべきであろう。

 ということは、"農業革命"は農業施設供給業者・種子メーカー・食品加工メーカー・食品小売業の4者にとって大きな環境変化となり、対応が適切であれば、飛躍できるし、対応が不適切であれば、没落の憂き目に遭うであろう。(大きな環境変化は企業のスクラップ&ビルドを促進する。これは世界の産業の歴史が示してきたところなのだ)

 したがって、上記の4者は事業としての可能性を認識したならば、"農業革命"を自ら実践し、世界市場の席捲(せっけん)を可能にする、コンサルティング・セールスのノウハウを逸早く掴み取りたいと思うであろう。

 但し、現在の集約型から大自然の生態系活用型に農業を転換させたり、あるいは大自然の生態系活用型農業を新たに確立することは巨額の先行投資を必要とするので、単独で"農業革命"を自ら実践できないかもしれない。そこで、提案したいことがある。農業施設供給業者・種子メーカー・食品加工メーカーの4者が共同企業体を形成して"農業革命"に乗り出すのだ。

 "農業革命"は一箇所で実験的に行い、そこでノウハウを確立する。そして、このノウハウを使って、当該地域の政府の援助を引き出しつつ、世界中津々浦々の"農業革命"を行う。「拠点開発」に成功した上で、「水平展開」するのだ。

 それではどのようにして「水平展開」すべきか。"農業革命"の実験に成功した企業が自ら経営の主体者になる。"農業革命"の実験に成功した企業の指導の下で従来の農業者やその他の参入者が経営の主体者になる。言い換えれば、大自然の生態系の下での農産物生産と国民休暇村の併営のフランチャイズ・チェーンの経営を行う形で「水平展開」すべきであろう。

 上記のように「水平展開」を行えば、"農業革命"の実験に成功した、農業施設供給業者・種子メーカー・食品加工メーカー・食品小売業の4者はそれぞれの製品・サービスの独占市場を形成できるので、巨額の先行投資は回収して余りあるものになるであろう。

 食糧自給率の低さは世界一となってしまった。国民に自然回帰現象が生まれている。国民の雇用機会の確保が緊急の課題になっている。わが国のこの三つの現象を考えると、上記の事業構想はわが国で一番成立しやすいのかもしれない。

◎エンゲル係数を飛躍させるビジネスがある

 成熟した市場で業績を拡大させるためには、汎用的ではなく個性的な需要を充足させるウォンツ財の開発が必要であることは業種を問わない。となると、気になるのは「高付加価値型の農産物を契約栽培するだけで、食糧をウォンツ財にすることが完結できるであろうか」である。どうなのであろうか。「否」である。なぜなら、食事は様々な食材の組み合わせから成り立つからだ。

 ということは、食品小売業、特に大手食品スーパーが食糧をウォンツ財にすることを完結させる役割を担っていると言えよう。なぜなら、食材の選択性と組み合わせ性を一番実現させやすいのは大手食品スーパーだからだ。(様々な農産物生産者や食品加工メーカーから食材を買い集める。こうすることによってでも、消費者は食事の用意ができる。だが、これでは時間もコストもかかり過ぎるので、現実的ではない)

 但し、食品小売業が食材の組み合わせをウォンツ財として供給できるようになるためには、それ相応の工夫が必要になるのは言うまでもない。

 健康状態の目標と現状、食事の好みなどのデータをインプットする。すると、他では見つけにくい、その店のオリジナル性の高い食材の組み合わせがアウトプットされる。ウォンツ財の供給を目指す食品小売業はこのような仕組みを持たなければならないであろう。

 上記のアウトプットがひとつしかないのでは消費者は満足しない。消費者は選択の喜びを味わいたいからだ。したがって、データをインプットすると、店で取り扱っている食材の範囲に収まる、複数の料理メニューがアウトプットされる。こういう仕組みが必要となろう。

 この仕組みができるとしても、現行の商売とどう調整するかという問題が生じる。なぜなら、繁盛店でこの仕組みを持ちこんだら、客の回転が悪くなってしまい、店の収益の足を引っ張ってしまう。例えば、こういうことが起きることが考えられるからだ。

 客の入りの一番少ない曜日を選んで実験を重ね、仕組みの精度を上げてからインターネットでこの仕組みを適用するなどが必要になるかもしれない。

 アマゾンなどのインターネット小売業は増し分コストをほとんどかけずに売上増を実現できる。したがって、労働生産性をいらくでも高めることができる。したがって、有能な人材を集めやすい。なるが故に、高収益の事業を拡大しやすい。こういうニュー・エコノミーならではの、好循環が期待できる。

 ところが、食品小売業は商品陳列・レジなどでの作業が宿命的に付きまとう。したがって、上記のような好循環が期待できないので、人材獲得合戦に敗れて限界企業になりかねない。

 このように考えると、詰めは無論必要だが、食品小売業のインターネットの活用は生き残りのために必要不可欠であろう。

 但し、食品小売業がこのような形でウォンツ財の提供に乗り出すのであれば、品質保証力を持たなければならない。高機能食品の開発のためには遺伝子工学の適用が必要。遺伝子工学の適用は安全性の問題を持ちこむ。それに、防腐剤漬けになった輸入生鮮食品の問題があるからだ。

 このような品質保証力を持つためには、研究所の設置など、それ相応の体制整備が必要となる。この必要性に応えるためには、食糧関連産業の統合的関係確立の必要性とあいまって、スケールメリットが必要となるので、食品スーパーの世界的レベルでの統廃合が進むであろう。

4、新規事業開発を成功させることは難しいことではない

 新規事業の開発に成功するためには、二つのステップを踏まなければならない。「実に面白い。実現できそうだ。わが社でもやれそうだ」と思えるようなビジネス・チャンスを認識する。これが第一のステップ。新規性が高い。市場性がある。競合に打ち勝つ戦略がある。この三つを兼ね備えるような事業計画にまとめあげる。これが第二のステップ。

 今回の「斬新な着眼」で提起したビジネス・チャンスは「THE ECONOMIST」(2000.3.25付け)の『AGRICULTURE AND TECNOLOGY』を読んで考えついたことを、考察材料の制約の中で上記の第一のステップに接近させるべく述べたもの。

 お読み頂き、「第二のステップに進んでみたい」と思われる企業がありましたら、筆者に手伝いをさせることをご検討願いたい。

 第ニステップに進むためには、企業の現状認識並びに市場調査をしなければならない。さもなくば、「新規性が高い・市場性がある・競合に打ち勝つ戦略がある」の三つの条件を充足できる事業計画が策定できないからだ。

 そうであるならば、いっそのこと、企業ビジョン開発のプロジェクトを発足させ、筆者をそこに参加させることをご検討願いたい。なぜなら、新規事業開発を企業の未来像実現手段として位置付る。これによって、競合に打ち勝つ戦略を万全にできるからだ。

 「公開された資料からでもビジネスチャンスを捻り出すことができることが分った。ついては、わが社に相応しいビジネスチャンスを捻り出して欲しい」と思われる企業がありましたら、筆者にその仕事をご発注されることをご検討願いたい。

 「第一ステップではなく、第二ステップの成果を一気に出して欲しい」と願うのであれば、考察対象となる資料を充実させると共に、企業の実態を筆者に事前に分析させて頂きたい。

 なお、筆者に仕事の発注をご検討されるのであれば、このホームページの中にある「サービスご利用案内」を是非ご覧になり、その上で、お気軽にご連絡願いたい。


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