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【斬新な着眼】


悔いなき人生はどうしたら実現できるか?
― 人生を生け花に見立てることである ―


日本的集団主義が諸悪の根源になっている
                                             2006.1.10 (2006.5.21更新)

ナアナア主義が閉塞状態に結びついている

生い立ちの未総括は未来を奪ってしまう

問題の根本的原因を突き詰めない。この姿勢が青年の絶命に結びついた

 Aさんは就職難を突破して一流企業に就職しましたが、数年後退社。ひきこもりのような生活を送り、嘔吐と自殺未遂を繰り返していましたが、恋人もでき小康状態を保っていました。ところが、30歳の声を聞く前に自主的に命を絶ってしまいました。この背景には、 次の図式があったことが推測できます。

 同級生達は仕事を通じて進化し続けている + 自分は落ちこぼれたままである ⇒ 同級生と自分の職業的脳力の格差は広がる一方である ⇒ 自尊心を満足させる形での社会復帰は不可能であると思うに至った。

 自分の5年後の市場価値を気にしなくてはならない時代になったので、前途を悲観したAさんの気持ちは理解できます。しかしながら、多様な生き方が可能になっただけに残念というしかありません。

 多様な生き方が可能であることを知らなかったことだけが不幸に結びついたのでしょうか? 幅広い選択肢を示すことができれば、Aさんはやる気に満ちた人生を送ることができたのでしょうか? 「否」だったでしょう。なぜなら、そんなことでやる気になるような人間であれば、有力者に相談するなどの自助努力を惜しまなかったはずだからです。Aさんは人生の達人が近親者にいることを十分承知していたのです。

 それでは秘められた個性的才能を開花させることなくAさんがこの世に決別してしまった根本的な原因は一体何だったのでしょうか? この人物は人をほっとさせる雰囲気や造形物創作の才能があるにもかかわらず何事にも自信がなかった。このことを考えると、「自分は駄目な人間である」と勝手に思い込んでしまったことに根本的な原因がありそうです。

 何が原因してAさんをして「自分は駄目な人間である」と勝手に思い込ませてしまったのでしょうか? 多くの人がそうであるように生い立ちに問題がありそうです。なぜなら、次の図式の罠に嵌ってしまう人が実に多いからです。

 (教育熱心な親に弄り回された ⇒ 内発的動機に基づく意思決定力が育たなかった ⇒ 挑戦を要する事柄に遭遇すると尻込みしてしまう) + (伝統的な道徳を重んじる家庭に育った ⇒ 親の所業を否定できない本能が育った ⇒ 何事にも自信を持ちようがないことの責任は親にあるなんてことは思いようがない ⇒ 開放的な意思疎通がしにくい) ⇒ マイナスの感情が内にこもる ⇒ 「自分は生まれつき駄目な人間である。だから、何事にも自信がないのだ」と思い込んでしまう。

 Aさんに限らず抱きがちな上記のような思い込みは間違っていることは言うまでもありません。なぜなら、どんな人にも磨くに値する才能が潜在しているものだからです。(関連記事 ⇒ 『誰だって発展性のある独自の脳力を潜在的に持っている逆転勝利の大きな可能性があることを認識しよう!』)

 未来進行形の自己物語を創造できなくても心の闇を理解してくれる人がごく近くに存在していさえすれば、Aさんは早まったことをしなくてもすんだことでしょう。ところが、Aさんの恋人はそのような人物ではなかったので、「恋人ですら自分の心の奥底を理解できない。となれば、この世に自分をとことん理解できる人は存在しない」と思い込み、絶望の淵に沈んでしまったのでしょう。

 繊細な神経の持ち主であるが故に自分を理解できない人と親しく接することには耐えらない。自尊心を満足させる形での社会復帰は不可能であると思うに至っている。── この二つが重なったために最悪の事態になったのだと思われます。

厳しくても現実を正視する。この姿勢が生きる勇気を与えた

 生きる勇気を持てなくなるのはAさんのような立場の人間だけではありません。還暦を迎えた途端に生気を失う人も少なくありません。どうしてなのでしょうか? 人生は生け花のようなものであるにもかかわらず、次の図式の犠牲になるからです。

 「寿命は残り僅か」と思う ⇒ 「新しいことに挑戦できない」と思う ⇒ 生気の源である前向きの欲求不満を持つことができなくなる ⇒ やる気を失う。

 Bさんもそうでした。60歳の誕生日を迎え、自分を鏡に映し出しました。老いを確認。「先が短いんだなぁ」と思いショックを受けてしまいました。その後、このBさんは末期肺ガンを宣告されるようなことになってしまいました。

 こういう場合、生きる希望を失ってしまうのが普通です。ところが、Bさんはそうではありませんでした。 60歳になった時は気弱になってしまった同じ人物が末期肺ガンを宣告されても平然としていることができたのです。

 このような不思議なことがどうして起きたのでしょうか? 次の図式の恩恵を受けることができたからなのです。

 肺ガンとその進行の仕組みをきちっと理解できた ⇒ どうすればどの位生きられるかが分かった ⇒ パニックにならなかった。

 異変が発生した時に先を読めないとパニックになるが、専門知識があるが故に先を読むことができると平然としていられるのです。このことは地震時のことを思い出して頂ければ、納得されるのではないでしょうか。

ぬくぬくした生活環境が羽ばたき力を奪い去ってしまっている

 普通の生活をしてきた普通の日本人が厳しい現実を直視した上で、生きる勇気を持つことができるでしょうか? 「否」と言わざるを得ません。なぜなら、人間は元々染み付いた生活リズムに反した行動を避けたがる。その上、日本の伝統的な社会は情緒一体感をこよなく大事にするために合理よりも人間関係を第一に考える風習を生み出しており、ほとんどの日本人はこの風習にどっぷり浸かっているからです。

 決定的なのは、事を曖昧にしがちな横並びやその場しのぎの生き方をしてきたことです。なぜなら、このような生き方は二つの図式を生み出すからです。

図式1 : 権威や実績に頼って自分の個性的な判断を放棄する ⇒ 「そうか。だったらそうならないようにこうしよう」という具合にはならない。

図式2 : 考え抜くことをしない ⇒ 創造的問題解決に必要不可欠な構想力・独創力が養われようがない。

 熟年に達した子供達は上記したような典型的な日本人。ところが、このような子供達に遺伝子を与えた両親や祖父母は正反対 ── こういうことが少なくありませんが、この背景には生い立ちの決定的な違いがあるのです。両親や祖父母は子供達とは全く異なる、次のような図式の下に置かれているのです。

 明治末期・大正・太平洋戦争とその敗戦という大動乱の時代を生き抜いてきた ⇒ 価値観の大転換を経験しただけではなく、ゼロではなくマイナスの状態から人生を再生し、子供を育てなければならなかった ⇒ メリハリのある思考をせざるを得なかった ⇒ 上記の図式1・2に嵌らずにすんだ。

意識を明確にすることが新たな挑戦意欲を生み出す

 末期肺ガンを宣告されても平然としていることができたBさんの有様並びにぬくぬくした生活環境が羽ばたき力を奪い去ってしまっている実態。この二つは30歳の声を聞く前に自主的に命を絶ってしまったAさんのような立場の人の悲劇未然防止のあり方に貴重な教訓を与えてくれています。

 何事にも自信を持てないといったような現状を生み出した原因を突き止め、「根本的な原因は親が自分から自信を奪い取ったことにある。自分は決して生まれつき駄目な人間ではない」と思い込むことにより、人生再生への道を歩むことができるようになるのです。

挑戦力を強化したければ、意識を明確化にしよう! 
 曖昧模糊とした精神状態はイノベーションとは無縁の「陥ってしまった状態の原因が不明確である ⇒ 適切な打開策を創り出しようがない ⇒ よしこれだ。なんとしてでもやり遂げよう!…という挑戦精神が生まれようがない」という図式に結びつくことを忘れてはなりません。

 人生の再生や大事を成し遂げるためには挑戦精神を横溢させることが、挑戦精神を横溢させるためには厳しくても事態を正確に把握して意識を明確にすることが必要なのです。

 厳しくても事態を正確に把握して意識を明確にすることが新たな挑戦精神を生み出す簡単な例を挙げてみましょう。

 38歳の時、転職。再就職先は屋外広告の飛び込みセールスの仕事で、長年スーパーの販売担当をしていた私には、経験したことのない職種だった。来る日も来る日も空回りが続き、営業成績は全く上がらなかった。・・・・・上司に退職を申し出た。理由を聞かれ、「努力をしても結果が出ないから」と答えた。すると、上司が言った。「君ね、この程度でくじけていたら、どこへいっても同じだよ」と。

 私はがくぜんとした。上司の顔には「君の同僚らは毎日、死にものぐるいで頑張っているんだぞ」と書かれているように見えた。

 退職届を破り捨てた私は翌日から、なりふり構わず仕事に取り組んだ。そして、3年後、全国各支社の営業マンの中でも上位3指に数えられるまでになった。・・・・・・・念願であったマイホームも手に入れた。・・・・・・・(「朝日新聞」(2006.1.3付け)の『声』の欄より)

 この人物の逆転勝利物語の本質は他のことでも当てはまります。何かの拍子に身体機能不全状態に陥ってしまった。こういう人の対処の仕方とその影響は大別して二つが考えられますが、この例が分かりやすいでしょう。

福祉機器をずるずると使い続ける ⇒ 身体機能は永久に回復しない。
福祉機器をいつまでも使わない ⇒ 身体機能の回復が可能になる。

 福祉機器をずるずると使い続けると、人間の持つ素晴らしい復元本能は作動しないのです。ところが、辛くても福祉機器の使用は短期に留めると、逆の現象が可能になるのです。


太平洋戦争だって総括が必要である

小泉首相の靖国神社参拝は否定も肯定もできる

(否定の根拠1) 靖国神社は追悼のためだけではなく、顕彰のためのものでもある。とすると、太平洋戦争が侵略戦争であるとするのであれば、日本の総理大臣が靖国神社を参拝するのは筋が通らない。

(否定の根拠2) 世界中の相互依存が拡充した現代においては一国の論理だけの行動は許されず、相互干渉が必要になった。とすると、隣国の国民感情を逆なでし、ひいては経済にも悪影響を及ばしつつある首相の靖国参拝は許されるべきではない。

(肯定の根拠1) 戦争の最終的責任は現在のような象徴的な存在に留まらず日本の名実の最高責任者であった天皇陛下にある。A級戦犯はこの天皇陛下の身代わりとして死んでいった。したがって、A級戦犯は罪人として処刑されたとしても英霊として祀らなければならない。したがって、このようなA級戦犯が祀られている靖国神社を首相が参拝することは筋が通っている。

(肯定の根拠2) 一国の最高責任者が遠い昔に遡って国民に対する約束を履行せずして国の安定は実現できるものではない。この重要性は国に対する求心力が失われていることを考えるときわめて大きい。

 このように考えると、「戦死したら英霊として祀られる ⇒ 納得して戦地に赴く ⇒ 出征兵を供給し続けることができる」という図式の下に「靖国でまた会おう」と言って戦場で散っていった兵士を祀ってある靖国神社は死守し、英霊の場であり続けなければならない。このような靖国神社を「心の問題である」と言って参拝し続ける小泉首相の行動は筋が通っている。

自衛戦争であるとも侵略戦争であるとも言える

 日本は他国の主権を軍事力で一方的に侵害した。これは紛れもない侵略戦争です。ところが、日本の軍事行動の背景を考慮に入れると、自衛戦争であったとも言えそうです。

 鎖国体制を敷いていた日本は開国を迫られ、列強に対抗するために明治維新。かくして、日本は欧米流の進歩主義を採用し、循環型経済に訣別。軍事力を急拡大するために人口が急増。急増する人口を賄うために海外との交易拡大が必要不可欠になりました。

 ところが、「世界各国の開明度が低かった ⇒ 世界各国の国民レベルでの相互依存がしにくかった ⇒ 世界経済はプラスサムの道を歩むことができなかった ⇒ 第一次世界大戦後、人種差別・植民地支配のままでの世界システムが確立した」となり、急増する人口を賄うための海外との交易拡大が困難になりました。

 一方、日本の過剰人口の吸収先であったアメリカは日本を実質的な標的にした移民法を施行。日本人のアメリカ移民が困難になりました。

 人口が急増してしまった日本は循環型経済に戻りようがない。かくして、日本はアジアの中でしか生きることができなくなったのです。

 ところが、中国以外のアジアのほとんどは欧米によって植民地化されており、中国もアメリカ・イギリス・ロシアによる支配の標的。となれば、日本としては軍事力でアジアを支配するしかなかったのです。

 ここに「日本はアジア開放の恩人である」という意見の根拠があるのです。ところが、現在は親日的とされるインドネシアですら、高校生向けの歴史教科書は「わが国を占領したことのある国の中で、日本はもっとも残虐であった」と記しているのです。

真実を権威によって封印するほど危険なことはない

 太平洋戦争は自衛的のものであったか侵略的なものであったかの論議に対して、政界のご意見番であった元副総理大臣の故・後藤田正晴氏は「サンフランシスコ条約に調印したことは日本は侵略戦争を認めたことと同じである」と、栗山元駐米大使は「日本はまず中国と韓国と和解しなければならない」と明言しました。

 この明言をどう受け止めるべきでしょうか? 短期的な国益を考えるであれば、是認すべきでしょう。なぜなら、「戦争の因果関係はどこまでも遡ることができる。したがって、太平洋戦争は自衛的のものであったか侵略的なものであったかの論議の放置はより大事なことを置き去りにして国益を損ないかねない」という考え方が成り立つからです。

 しかしながら、長期的な国益を考えるであれば、否認すべきでしょう。なぜなら、権威の力を借りたり、糊塗するような対策を優先するために太平洋戦争の真相解明論議に終止符を打つ。このような態度は次の図式に陥ることに結びついてしまうからです。

 気持ちはもやもやしたままである ⇒ 集中力が生まれない ⇒ (集中力を必要とする大事を成し遂げることができない + とことん考え抜くことができない日本人の一般的な特徴が残ったままとなる) ⇒ 日本人の一般的な特徴であるその場しのぎから脱却できない。


太平洋戦争の未総括も日本の未来を奪ってしまう

今のままでは外交力の源である国民パワーの結集が困難になる

 ハーグ条約に違反した本土焦土作戦や原爆によって90万人を超える日本人が一気に殺傷されました。にもかかわらず、このことを問題にする日本人はほとんどいません。どうしてなのでしょうか? 「公共精神が希薄である ⇒ 自分の身内のことしか考えない」「その場しのぎである ⇒ メリハリのある思考をしない」という日本的集団主義に起因する二つの図式のなせる業なのです。

 このような日本人の体質を「過去にこだわらない未来志向主義的で素晴らしい」と肯定すべきでしょうか? 生い立ちの未総括は未来を奪ってしまうの箇所で述べた「事実を曖昧にしたままであることは新たな挑戦精神を生み出すことを阻害する」という事実を考えると、「否」と言わざるを得ません。このように主張する主な理由は三つあります。

(理由1) 工業化の限界により過去の延長線上を歩む限りは経済のパイ拡大は困難になり、イノベーション力注入が必要不可欠になった。

(理由2) 過干渉の母親に育てられ、イノベーション力の源泉である「内発的動機」に基づく自己決定力が養われていない子供の輩出が目立つようになった。

(理由3) 現代社会でも過去をきちっりと反省することなく蛇行的な行動が横行している。(例 : バブル時は命令で貸し急ぎ、バブル崩壊後は貸し剥がしをさせ、挙句の果てには自ら責任を採ることなくリストラに走った銀行経営者達)

 このように考えると、「俺もあとから行くから…」と言って“特攻”させ、自分はのほほんと生き延びて戦後を迎え、安楽な人生を送った上官達の総括も必要でしょう。さもなくば、日和見主義的なジコチューが更に増えて、放置されたままである日本社会の分裂状態は深まるしかないでしょう。

今のままでは時代の流れから取り残されてしまう

 太平洋戦争が自衛戦争なのか侵略戦争なのか? 小泉首相の靖国神社参拝は是なのか非なのか?…を巡って国論が二分している状態の放置は世界のメガトレンドとなりつつある広域地域共同市場への日本参加の困難化に結びつきかねません。なぜなら、次に示すように、東アジアにおける日本の孤立色が濃厚になりつつあるからです。

中国の反日感情が急速に高まっている

 中国人の反日感情は「日本人を好きではない」とする国民が74%を占めるまでに至りました。どうしてなのでしょうか? 二つの図式が合体したためであると言えそうです。

図式1 : (中国は市場経済を導入する方針に踏み切った ⇒ 社会が大きく変容し、共産党の存在意義が問われることとなった ⇒ 共産党は愛国主義キャンペーンを形成することとなった) + (悲惨な結果を招いた文化大革命等の暗い歴史は総括されることなく蓋をされたままである ⇒ 共産党体制に対する疑念が燻っている

 ⇒ 共産党体制の正当性の根拠を日中戦争に勝利したことに置いている + 日本との友好関係を必要としている ⇒ 「日本側の責任はA級戦犯にあるが、国民には全くない」という態度を採ってきた) + 日本の首相の靖国参拝がこの構図を壊してしまった ⇒ 日本の首相の靖国参拝を激しく批判せざるを得なくなった。

図式 : (完全に独立国である + 目覚しい経済成長を遂げてきた ⇒ 国民のプライドが高揚している) + (中国人は長らく情報統制下に置かれていた。いいかえれば、一般の中国人は流布される情報に対する的確な判断力が不足している ⇒ インターネットの急速な普及は流布される情報を簡単に信じてしまう中国人を多数生み出すことに簡単に結びついてしまう) + (中国人の愛国心喚起のために歴史教育に力が入れられていた

 + 日本の首相の靖国参拝を激しく批判する情報が怒涛のように急速に普及したインターネット上を駆け巡った ⇒ 日本による侵略戦争の古傷が猛烈にうずくようになった) ⇒ 中国人の反日感情に火がついた。

●南北朝鮮の反日感情が急速に高まっている

 韓国人の反日感情は80%の国民が「日本人を好きではない」とするまでになっています。中国人以上の反日感情です。

 鬱積していたマイナスの感情が靖国問題や竹島問題で爆発したからなのでしょうか? それもあるでしょうが、事態はもっと深刻です。下記図式にあるような経済的な動機があることをも忘れてはならないでしょう。

 (韓国経済は発展して外延的拡大のためのニューフロンティアが必要になった ⇒ 北朝鮮との経済一体化が必要になった) + (北朝鮮経済は弱体化してしまった ⇒ 経済活性化に結びつく外国からの直接投資が必要になった) ⇒ 韓国と北朝鮮は共通理念を求めるようになった ⇒ 朝鮮半島を植民地支配した戦前の日本がクローズアップしてきた ⇒ 韓国と北朝鮮は「日本憎し」ということで結託するようになった。

 北朝鮮による拉致問題が膠着したままである背景には、韓国との北朝鮮の友好深化が日本からの経済援助の必要性を低めていることもあるのです。

●日本人のジコチュー性に拍車がかけられている

 中国並びに韓国の反日感情の高まりは日本人の両国に対する感情をも悪化させました中国に対する感情の悪化には目覚しいものがあります。(右記の2005.12.25付け「朝日新聞」に掲載されていた図表参照)

 この悪感情は外国との融和志向ではなくジコチュウ志向に結びつきかねないことに注意しなければなりません。なぜなら、「日本はやられただけ損をした」という気持ちを生み出しかねない二つの事実があるからです。

(事実1) 原爆体験が心の傷になっている人の割合がかっての20%から近年の40%に増加している。にもかかわらず、「靖国問題や戦争を巡る最近の世論は日本人が戦争のことを反省していないことを意味する」として、「日本人の原爆体験は同情しにくい」という国際世論が浮上している。

(事実) 中国は国内外で非人道的な行動を採っている (文化革命の弾圧による大量の死者、パキスタン経由でのイラン・北朝鮮への核兵器の輸出)。そういう中国に対して日本は年間兆円に及ぶ経済開発援助資金を提供している。ところが、このことが中国人にきちっと知らされていない。

 だからか、「日中和解の必要はない」という20代、30代の若い日本人が増えているのです。

今のままでは日本人は信用されにくい

 太平洋戦争が自衛戦争なのか侵略戦争なのか?…を巡って国論が二分されるようになったのは最近のことです。それまでは「侵略戦争」が支配的でした。この世論の変化の背景には次の図式がありそうです。

 日本経済の衰退に伴い、日本人が自信を喪失した ⇒ 日本人が自信を持つようになるための何かが必要になった ⇒ 靖国問題で太平洋戦争について考えるようになった ⇒ サンフランシスコ条約や東京裁判に疑問を持つ人が増えた。

 上記図式は新たな挑戦精神の源である事の真相解明に結びつきます。したがって、長期的には好ましいことです。ところが、外国人は「これまで頭を下げてきたのは面従腹背であったのか」という疑念を抱きかねません。そうしたところへの憲法改正問題の登場と国連常任理事国入りの意図表明なのです。

 このような態度は日本的集団主義にどっぷり浸かった人にはなんでもないことかもしれません。ところが、外国人はそうではありません。「日本人は事を曖昧にしたまま次のステップに進むずるい国民なのだ」と思われても不思議ではないです。


総括に必要なメリハリのある思考力が育たなかったのはなぜか?

個性を封印しないと生きていかれなかったからだ

 ドイツ人と日本人は似たところがあると言われますが、両国民のモスクワ捕虜収容所における態度はくっきりとした対照性があったそうです。ドイツ人は「ヒトラー万歳」と叫び、ナチの歌を歌った。一方、日本人はなんとインターナショナルを歌い、共産主義を礼賛したのです。次の図式にあるような両国文化の違いがこの背景にあるのでしょう。

(ドイツ人) 神の下で平等であるとするキリスト教文化の影響を受けて育った ⇒ 個が確立されている (その場しのぎではない) ⇒ 自分の考えで行動する ⇒ 考え方がコロリと変わることはほとんどない。

(日本人) 序列を重んじる集団主義の影響を受けて育った ⇒ 個が埋没している (その場しのぎである) ⇒ 自分の考えではなく成り行きで行動する ⇒ 考え方がコロリと変わりやすい。

 上記したような日本人の特徴には根深いものがあります。なぜなら、米作のための村落共同体が育んだ集団主義が二つのことにより強化されたからです。

明治以降の人口急増に対応するために規格型手工芸品の加工貿易に邁進した。したがって、個は埋没せざるを得なかった。

その後も続いた生めよ増やせよの政策の下で人口は増加してしまっている。しかし、社会資本は壊滅同然である。こういう状態で敗戦を迎えたので、規格型工業製品の加工貿易に邁進するしかなかった。したがって、個の埋没状態は続かざるを得なかった。

 個の埋没は思考停止状態を意味します。こういう状態が常識化した社会の中で総括に必要なメリハリのある思考を要求することは無理難題というものです。

知的アクロバットは夢想すらできなかったからだ

 米作のための村落共同体が全盛であった徳川時代にあっても、宮本武蔵はメリハリのある思考ができる人物でした。だからこそ、大勢の難敵をなぎ倒し続けることができたのです。日本モデル全盛時代にあって、ソフトバンクの孫正義氏は異変待ち受け経営を行い続け、今日を築き上げることに成功しました。

 メリハリ思考力養成の敵であるその場しのぎの生き方をする余地が全くない“一匹狼”。これが上記二人の人物に共通する特徴です。ぬくぬくした環境から抜け出して考え抜かなければならない立場に追い込むことなくしてメリハリある思考力は鍛えられないのです。

 このように言うと、「デスクプランを信用しない風潮がある以上は考え抜く立場に身を置くことはできない」という反論が出るかもしれません。デスクプランが信用されないのはどうしてなのでしょうか? 所属組織内における次の図式のなせる業であることを忘れてはならないでしょう。

 模倣や付け焼刃的な対策で事足りてきた ⇒ ジグソーパズル思考の達人を養成することを怠ってきた ⇒ 創造性に満ちたぞくぞくするようなデスクプランが提起されたためしがない ⇒ デスクプランは役に立たないものであると思い込むようになった。

デスクプランの悪しき実態を生んだ理由の補足説明
中長期経営計画を立案する調査部門の実態

 「戦争体験のない人間が靖国問題を論じるのは空理空論である」と主張する人も上記した図式の犠牲者なのです。悪しき経験至上主義は次の図式が示すように古き良き時代の負の遺産です。

 キャッチアップや横並びしか経験したことがない ⇒ 目に見えるものしか評価できない。いいかえれば、抽象的なものは評価できない ⇒ ジグソーパズル思考をして真相を解明するなんてことは考えたことがないし、そのような能力は全く養われてない ⇒ 視野狭窄症という側面を持つ経験至上主義にしがみつかざるを得ない。

 経験至上主義が幅を利かせる限りは究極のメリハリ思考である知的アクロバットは生まれ育ちようがなく、複雑問題解決に必要不可欠な斬新な着眼は得られようがないのです。

知的アクロバットができないとどうなるか?
固定観念から抜け出すことができない

知的アクロバットの具体例
世直しに結びつく超大型事業の構想
日本再生に結びつく雇用拡大の構想
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重大事でもなし崩し的に決まるのが当たり前だからだ

 太平洋戦争の悲劇性は国土が荒廃したことだけではありません。おびただしい数の兵士が戦死ではなく餓死した。これも大悲劇です。どうしてこのような信じがたいことが起きてしまったのでしょうか? 日本軍の中枢が無責任・無謀だったからです。にもかかわず、A級戦犯は敗戦33年後の昭和53年10月に靖国神社に合祀されてしまいました。3000万人の署名が梃子に使われたのです。

 3000万人の方々は考え抜いて署名をしたのでしょうか? 「知り合いに勧められたのでなんとなく署名した」というのが本当のところでしょう。合理よりも人間関係を大事にする日本的集団主義が歴史的な大事の決定に悪用されたのです。

 このような大事の決定の仕方は現在でも随所で採用されていることに異論を唱える人はいないでしょう。だから、諸外国、特にアジア諸国は「憲法が認めているし、知り合いが賛成しているので…となって戦争が強行される事態が起きかねない」と危惧して憲法改正に反対しているのです。

 その場しのぎの行動が雪崩現象となって大事が決行されることにまだぴんと来ない方に花粉症対策のマスクを例にとって日本人の特徴を説明しましょう。

 2005
年の春は花粉症が大流行。マスク姿が街にあふれました。この花粉症に悩まされるのは日本人だけではありません。アメリカ人も同様です。ところが、マスク姿はアメリカでは見当たりません。「重い伝染病の患者みたい」と嫌がり、「マスクまでして出勤しない。せきやくしゃみが止まらない日は休む」からなのだそうです。

 一般的な日本人はアメリカ人と違って人目に立つことを嫌がります。にもかかわらず、歩道を行くマスクの群れを描写して米紙が「手術に向かう外科医の集団と思った」と伝えるほどまでに日本人はマスクをすぐ着用するのはどうしてなのでしょうか? 次の図式が根づいたからなのでしょう。

 「安全第一である」と思っている人が多い ⇒ マスクをしたいという欲求が鬱積している人が多い ⇒ 「安全のためには目立っても仕方がない」と思う人が出現する ⇒ マスクをしたいという鬱積している欲求と横並び志向が結びついてマスク姿が街にあふれようになる。

 日本の社会は何かの拍子で雪崩現象が発生しやすいのです。これは大事がなし崩し的に決定されがちであることと同根です。なぜなら、日本人は「赤信号も皆で渡れば怖くない」という言葉に表れているように思考停止のその場しのぎな行動を採りがちだからです。

 重大事であってもなし崩し的に決定される社会の中で総括に必要なメリハリのある思考力は養いようがないのです。

とことん考え抜く力は一段と弱くなっているからだ

 過去の延長線上を歩むことで事足りたことが思考力強化を怠ることに結びついた。しかしながら、環境が様変わりした。したがって、これからの若者には期待できる。このようになりたいものですが、どうなのでしょうか? 二つの図表を見てください。

高1の03年OECD学習到達調査 厚労省がまとめたエイズウィルス感染者とエイズ患者の合計


     エイズが拡大している先進国は日本だけです。
資料 : 2005.12.8付け「朝日新聞」 資料 : 2005.5.16付け「朝日新聞」

 上記した二つのデータは重大な意味を持っています。 学習到達平均値の大幅下落があってもアメリカがそうであるように孫悟空のような人材が輩出しやすい国であれば、マネジメントの妙によって国力低下を食い止めることが期待できます。ところが、日本は粒揃いの人材輩出が得意であって孫悟空のような人材輩出が不得意な国なのです。したがって、学習到達平均値の大幅下落は国力の大幅低下に直結することでしょう。

 日本におけるエイズ拡大についても独自の解釈が必要です。開発途上国であれば、教育水準の引き上げに応じたエイズ縮小が期待できます。ところが、日本の教育水準はすでに高いのです。しかも、エイズが拡大している先進国は日本だけです。日本におけるエイズ拡大の秘められた原因解明が必要なのです。

 この二つの由々しき現象を上記したことを念頭に置いた抜本的な打開策が浮上しやすくなるような考え方を紹介しましょう。

 子供の学力低下とエイズの静かな拡大は偶然の一致なのでしょうか? 「否」です。我慢力がないことが子供の学力低下に結びつき (詳しくは ⇒ 『子供に我慢力を植えつけよう』)、我慢力のないことが物事を深く考える力を奪い取り、安易な行為の結果であることが多いエイズ感染の拡大を招いた。このように言えるからです。

 したがって、現状路線を歩む限りは総括に必要なメリハリのある思考を若者に要求することはできないと言えるのではないでしょうか。

 脳力開発に成功するための鉄則は「鉄は熱いうちに打て」という教訓に忠実であることです。どうすれば、このような状態になるのでしょうか? 強烈な問題意識を持てる状態を創り出すことです。どうすれば、強烈な問題を創り出すことができるのでしょうか? 今抱えている重大な問題の解決に取り組むことです。(具体策 ⇒ 『ワタナベ式問題解決へのアプローチ』)


多くの日本人が一触即発の状態になっている仕組み
 (先行きがどんどん不透明になっている + 個が埋没する時代が長く続いたので、個性を本当に受け止め理解できる人が殆どいない ⇒ 臨機応変力の必要性がかつてなかったほど高くなっている) + (降りかかってきた難問を受け止めて創造的に解決しようとしないその場しのぎの人生を送っている ⇒ 臨機応変力の強化が進みにくい) ⇒ 臨機応変力の欠如が露呈されるようになった ⇒ ピンチに陥ったり、チャンスを逸する度合いが極めて高くなっている ⇒ ストレスが溜まり続けたために一触即発の状態になっている。


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