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斬新な着眼の不在が招いた悲劇の例
―大変化に無策であったことが悲劇に発展した日本の製造業 ―
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東西冷戦構造の終結は、旧共産圏諸国の膨大な潜在需要と低コスト力という二つの好材料を、自由世界に供給することも意味していました。旧共産圏が日本の製造業の競争相手になるには、相当の時間がかかることを考えると、冷戦の終結は日本の製造業にとって大きなチャンスだったのです。つまり、サービス産業発展に結びつく、事業構造高度化のチャンスがあったのです。
ところが、日本の製造業は系列・終身雇用制度などを主因とする長期コミットメント体制が災いして、事業構造高度化のための再構築はできませんでした。したがって、旧共産圏諸国の市場経済への組み入れは、日本の製造業の市場と低コスト力の両方の提供ではなく、むしろ日本の過剰な供給能力を潜在させるという現象に結びついてしまいました。
経済がバブル化して、日本の工業分野の供給能力が拡大し、同時に、旧共産圏が市場経済に組み入れられただけではなく、工業化が進みました。そして、日本国内ではバブルが破裂しました。かくして、日本経済は一気にデフレ化に向ってしまったのです。日本経済はサービス産業を発展させるチャンスを逸しただけではなく、工業分野の能力過剰という状態に追いこまれてしまったのです。バブルだけが日本経済をデフレに追い込んだ原因ではないのです。
日本経済のデフレ化はごく自然に株価低迷に結びつきました。となれば、米国経済で実現されたような「株価の長期上昇が産業構造の高度化に、産業構造の高度化が新産業創出に結びつく」という図式は実現されようがありません。わが国はますますサービス産業を発展させることができなくなってしまったのです。(逆に異変を利用して成功した企業 ⇒『製造業が低収益から抜け出す方法』)
「日本の社会構造は独特だから仕方がない」という嘆きは許されません。なぜなら、似たような事情にあるドイツに鮮やかな変身を遂げた企業があるからです(鉄鋼・造船・工場建設などの事業からなるコングロマリッド(複合企業体)からパッケージ・トラベル事業に変身し、ドイツ産業界の中にあって飛びぬけた株価上昇を享受してきた企業が存在しているのです)。
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