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2018.12.25

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【斬新な着眼】


→緊急の課題である“孫悟空”の短期育成はイノベーションのロジック注入によって実現できる──、あの高橋尚子さんと小出監督の動静から考える〈2003/3/11〉

このページ文章のほとんどは老齢のために難聴になってしまったが、知的好奇心旺盛な母へのメ
ールからの転載です。

 渡辺高哉の“大馬鹿行動”の中身と教訓は何か

    ― 個人的な条件だけで“孫悟空”の壁は打破できる ―

2. 新規事業開発成功に必要な理論的条件が完備していた

 自ら孫悟空的な行動を採りたい。孫悟空的な人材を生み出したい──、このようなことを願う人々の参考にもなるように、私が仕事の世界でやり遂げてきたことを、分かりやすくするために自問自答の形を採って説明します。

(質問1) 三つの大きな壁(三菱総合研究所並びに私個人としての実績は皆無/「受注活動の失敗=解雇」の覚悟/常識的には時間的余裕皆無)をどのように乗り越えて52社から合計6200万円を集めることに成功したのでしょうか?

(回答1) 私は常識にとらわれない発想・行動の持ち主であった。絶好のタイミングに恵まれていた。逆転の発想的な販売方法が劇的な効果を発揮した。足らざるを補うための創意工夫が功を奏した──、この四つが事業成功を支えてくれたのです。この四つをやや詳しく説明します。

私は常識にとらわれない発想・行動の持ち主であった

 私が他人の相談を受けていつも感じることがあります。過去の苦い経験や現実のしがらみが障害になって天に突き抜けるような発想ができる人がほとんどいないことです。

 独創的な発想をする。この発想をつめる。つめた結果に基いて実行するかどうかを考える──、こういう順序を踏むことの必要性を説いても、どうしても過去の経験や現実にとらわれてしまうのです。

 私はそのまったく正反対です。どうしてそんな人間になったと思いますか?

 植民地・台湾(当時)に生まれ、私に忠実であった現地人の女中がほぼかかりきりになってくれた。お母さんが細かい干渉を一切しなかった──、こういうことが重なって、多数のアヒルを引き連れて近所を練り歩く…等など、私は自由奔放な生活をしたことをよく覚えています。

 抑圧されたことのない私は押さえつけられるのが嫌…ということで、年上の人間とは決して遊ばない少年時代を送ることとなりました。だからか、私は常識では考えられないようなことをして遊んだものでした。

 網で魚を捕る。これが子供の世界の常識。ところが、小川を堰き止め水をかい出して、魚・ザリガニを手づかみする──、こういうことを提案して、大勢の遊び仲間と一気呵成にやる…等などがその良い例です。

 社会人になってからの仕事の世界でも同様でした。安宅産業に入社して早々にあっと驚くようなことをやってのけたのです。先輩達が営々と引き継いできた仕事の仕方を一切無視した事務処理革命を成功させてしまった…等などが良い例です。

 初任給1万円ちょっとの時代に、一人当たりの月間ノルマが粗利益で100万円。したがって、人は増やせないので、貿易の受け渡し業務を新人の私一人でやっていました。残業が続くので、大胆な合理化案を考え出して課長に受け入れさせてしまったのです。

 ですから、輸入担保金90万円の没収…という通産省(当時)から通達が来て、「役員会で報告した結果、お咎めなしということになったので、心配するな」という課長の言葉を聞いても「ハイ、分かりました。申し訳ありませんでした」というような私ではありませんでした。(痔の手術で入院していたために私は大きなちょんぼをしてしまったのです)

 通産省の担当係長の自宅の住所(横浜の郊外)を調べ上げて、夜討ち朝駆けで押しかけた挙句に合法的秘策のヒントを貰って色々と算段した結果、全額回収に成功。課長を始めとする多くの人々を吃驚仰天させたのです。

 抑圧のない私は大胆不敵な事業構想をぶち上げて、課長を青ざめさせたことがあります。

 アメリカが供給過剰となった小麦を廃棄処分していること、インド人が大量餓死したこと、不純分が多すぎて有効利用できない無尽蔵の鉄鉱石がインドネシアの地下に賦存していること、大量の石油を使って不純分を除去して鉄分90%以上の海面鉄を生産する直接製鉄法が開発されたこと。

 以上のことを結びつけた事業を考え出して、安宅産業全体を26歳の私が動かそうとしたのです。

 日本から鉄鋼製品をアメリカに輸出する。アメリカからインドネシアに小麦を輸出する。インドネシアで海面鉄を生産して日本に輸出する──、こういう多国間貿易を特別に仕立てた船で実行しようとしたのです。(インドネシアからインドへの小麦の移送、インドからインドネシアへの見返り…という問題は別途解決が可能と考えていました)

 日本郵船にこういう船の可能性を打診したところ「建造できる」という回答を得ていたのです。

 この構想は私の力不足で結局潰されましたが、後から出てくる当時部長であった信澤さんはこのこともあって私に大変注目したようです。私をインドで軽く修業させた上で、未来の大国・ブラジルに資金を与えて5年間野放しする…構想がその後生まれたのが何よりの証拠です。

 こんなことやあんなことが重なって、幼少時に源流がある私の自由奔放な発想力と行動力は揺るぎのないものになっていきました。その結果が

 売り上げ急増に結びつけた新しい方法の開発(西友ストア)、全店舗の小麦粉製品取り扱い量が5年後に準大手・昭和産業の小麦粉の年間生産量の25%に達することに着目しての小売業と製粉会社のタイアップ(西友ストア)、

 相良竜介著『企業の頭脳集団』(日本能率協会)で大きく取り上げられると共に、私自身のNHKテレビ出演に結びついた、革靴メーカーをシステムの頂点に置く皮革産業の水平・垂直統合(ユニオン製靴)等などの成功に結びついたのです。

 したがって、常識的には実現できるはずのない、マルチクライアント・プロジェクト『新規事業開発の手引き』を考え出すなんてことは、私にとってはごくごく自然のことだったのです。

 (「市場の成熟化 ⇒ チャンスの発掘・実現の困難化 + 不況の長期化 ⇒ 閉塞感や立ち往生」…という状態からの脱出・躍進を可能にする、独創的な事業構想を打ち出すことは、ジグソーパズル思考を行うことができさえすれば、いつの時代であっても可能です。無論今もです。

絶好のタイミングに恵まれていた(フォローの風を察知した)

 貿易問題が深刻化してきたので、「企業はこぞって新規事業の開発に乗り出すであろう」という推定をして、マルチクライアント・プロジェクト『新規事業開発の手引き』を考え出し、この推定がずばり的中したのです。

 ひみこチャンと海芙チャンの商売が繁盛している背景に「社会情勢の変化 ⇒ 愛のはけ口の狂おしいばかりの欲求拡大 ⇒ ペットブーム」ということがあるのと同じことなのです。

 ずーっと前のメールで申し上げた、お母さんとお父さんが戦後の混乱期に考え出した小牧場経営が成功したのも「食料不足」という時の運を味方にするという賭けが当たったからこそだったのでした。

 (新規事業開発の成功に必要不可欠な事業構想の詰め方&市場導入のタイミングの取り方 ⇒ 『勝ち組メーカーに学ぶサービス事業戦略』(PHP研究所))

時間のないことを逆手に取った販売方法が劇的な効果を発揮した

 数多くの顧客候補を訪問する時間的な余裕はまったくない。しかも、隠密の受注活動をしなければならない──、こういう状態あった私は

 顧客企業候補に何度となく文章で中間報告を行った上で、企画書を郵送する。この作業が一段落した段階で、安宅産業に入社して配属された原料部の部長であった信澤巌さんの紹介で三菱瓦斯化学の長野和吉社長(当時)との面談に漕ぎ着けて、第一号の受注に成功。その上で、郵送先に電話する

 という奇策を用いて52社から6200万円の大金を集めることに成功したのです。(手紙等を送り続けた後の電話でしたので、ほとんどの人が会ったことがないのに懐かしそうに応対してくれました)

 上記の奇策の詳細はお母さんに昨年プレゼントした『勝ち組メーカーの学ぶサービス事業戦略』(PHP研究所)の145~146ページに紹介してあります。(あるコンサルタントとは実は私のことなのです)

足らざるを補うための創意工夫が功を奏した

 当時の三菱総研は経営コンサルティングとは無縁の存在でした。したがって、マルチクライアント・プロジェクト『新規事業開発の手引き』をまともに売り込んでいたのでは相手にされません。

 そこで、中小企業振興事業団の機関紙に連載されていた、私の小論『経営のヒント』集並びに『豊田市地域商業近代化ビジョンのあらまし』を前述した数多くの顧客企業候補に郵送しました。

 渡辺高哉のようなビジネス・経営に精通した人間が三菱総研には存在しているのだ、ということを訴えるのが狙いであったことは言うまでもありません。

 『経営のヒント』は好評を博していたし、『豊田市地域商業近代化ビジョン』は専門家筋から「経営戦略の見本」と絶賛されていましたので、上記の狙いは見事に的中しました。

 (この『豊田市地域商業近代化ビジョン』はプロポーザルが公募されましたが、この種の仕事を担当するのに一番ふさわしい部署が最初から諦めてしまったので、私にチャンスが廻ってきたものだったのです。したがって、この分野でも私は三菱総研の先駆者役を演じることに成功していたのです)

 足らざるを補うための創意工夫は受注後の研究でも行いました。企業の研究開発分野では第一人者であった故・水野恵司千葉商科大学教授との共同研究…という形態を採ったのです。



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