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節子の個人的体験2
2013..8.18新規掲載

母子家庭になってから長女が精神不安定になったことの問題

長女が精神不安定になった原因と思われること
小学5年生の時に、長女の父親の危険な行動を見せてしまったのでトラウマが残ったこと。
それから間もなく、突然母親(私)がいなくなり妹の面倒をみたり朝練も頑張っていた。
父親が家政婦とキスしているところを見てショックを受けた。
母親が自分を信頼してくれていないから何も言わずに家を出たと思って母親不信になっていたと思われる。

母親(私)にある日突然知らない家に連れて行かれ、新しい母子生活が始まった。友達に何も知らせられないまま転校することになり、生活環境が激変しショックを受けた。
(子供達は2階建ての庭付きの家を気に入っていたのに古い汚い狭い家になり、長女は「クラスで一番友達になりたい人」アンケートでNo1だったのに、自分のことを何も知らない友達、勉強のやり方も違う等)

祖父や学校の先生はじめ大人達から、「お姉さんなのだからお母さんを支えてしっかりしなきゃだめ」と長女の気持ちを全く考えず、きつい言葉ばかり言われ続けた。自分を信じてくれる人がいないのではないかと人間不信になってしまったと思う。

長女の行動
長女は甘えたいのに素直に甘えられず、夜中に大声を出したり、皆の布団をひっくり返したり不安定な精神状態が続いていた。

長女は私に愛情の有無を試していたのだと思うが、私が一生懸命愛情を伝えようとしても、どんどん逃げて行って、素直に愛情を受け止めることはできなかった。
長女は精神的に荒れて、妹も被害に遭うので、がまんできず家中大騒ぎになり、毎日「明日こそ
良くなる」と私は信じるしかなかったが辛かった。

子供達は生まれた時から、父親が母親を軽視して暴力を振るうのを見て育ったので、母親の言うことはなかなか聞かなかった。

私は、狭い家なので1人を褒めても叱っても3人が敏感に反応するので苦労した。
本当は長女に愛情を示してあげたくても、わざと悪い態度で妹に当たったりするので結果的に長女を叱ることが多くなり、どうしていいか分からず悩むことが多かった。

長女に対して私はどのように接していいのか分からず相談をした
この頃は市の相談員に相談したが、どうしたらいいという適切な回答はなく、見守るしかないと理解した。
今は亡き私の父や他の人に相談しても「甘やかすな。もっと厳しくしないと駄目。仕方がない子」と言われ、長女を嫌いになりかけたので、ほどほどにしか話せなくなった。もし実家に戻っていたら長女はもっと精神的におかしくなっていたかもしれないと私は思った。

これといった解決策はなかったが、環境にも慣れたので中学生になってから少し落ち着いてきた。

長女の登校拒否の問題
母子家庭である上に出席日数不足で高校中退になってしまうと、就職が難しくなるのではないかと思い、子供の将来を心配して私は眠れなかった。
長女は体調不良のため起きられないので、整体に通わせたりしたが体調はあまり良くならなかった。

原因と思われるもの
高校入学後、先生が校則違反の生徒に見るのも辛い酷い指導をしていたので長女は心を痛めていると言っていた。また、性格の悪い子が多く友達が作れないと悩んでいた。

一年生の時から次第に体調を崩し(腰痛・頭痛・肩凝り・不眠等)朝起きられなくなった。
いつの間にか長女は、こうなったのは母親の所為だと思うようになった。

私も、長女は赤ん坊の頃から両親の悪い関係に一番ストレスを感じながら育ち、小学5年のトラウマもあり環境激変なども原因して身体に来てしまったのかもしれないと思うようになった。思い返せば長女に対して私の要求は一番厳しかったと思う。

担任の先生に相談
担任の先生に「朝起きられない時は私に電話をください」と言われ、頼りにして登校できる日もあったが、先生が長期間都合で留守になることがたびたびあるのでなかなか解決はできなかった。

部活の先生も協力してくださったが、たびたびでは付き合いきれない様子が伝わってきたので迷惑もかけられず、先生を頼ることをあきらめた。

市報で「登校拒否の親の会」を見つけ参加した。そこでは何年も引き籠った人などかなり重症な人ばかりの親の集まりだった。私の長女はまだこのままでも何とか高校を卒業はできると思うようになり、考え過ぎないようにすることにした。

卒業後の問題
高校卒業後も体調はよくならず、就職先は人間的にかなりレベルの低い人が多く、体調がもっと悪くなり苛めまで起きたので仕事をやめることになった。

今は亡き私の父や他の人は相変わらず、「甘やかすから駄目だ」としか言わなかった。
長女は腹痛など痛みに小さい時からかなり我慢強い子で、その上大げさな嘘もつかない子なので、とても甘えから来ているとは思えなかった。私自身痛みを訴えても誰も信じてくれなかったらどんなにか辛いと思った。だから他人に何と言われても厳しくすることはできなかった。

本人は直接何か言われなくても「母子家庭なのに何もしないで駄目な人」と責められていると感じたらしくアルバイトを探して無理をしても働いた。
この頃長女は、過食・パニック症候群・不眠・頭痛・腰痛など大変苦しんでいたので、自分で心療内科にも通院していた。

私は昔のように元気な長女に戻れるなら、できるだけのことをやってあげたいと思ったので、お金をやりくりして歯の矯正もやった。
もっと心のストレスを軽くしてあげられたら一番よかったのかもしれないが、母親にはできるだけ頼りたくない様子だった。

私は、もう人には相談する気にはならなかった。
相談しても「長女が親に甘えている」という捉え方しかして貰えず、長女を厳しい目で見る人が増えるだけ。敏感な長女は私に対しての不信が増し精神的に追い詰めてしまうばかりだった。

私と長女の相性が悪いということもあるかもしれないので、できることなら誰かが長女を良いところも悪いところも丸ごと受け入れてあげないと解決はできないと思った。

現在長女は子供ができて幼稚園に入るようになり、とても穏やかになったと私は感じている。家族から求められる状況になって、素直に愛情を受け入れられるようになったのかと思う。

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